瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

平井呈一『真夜中の檻』(18)

 山下氏の本について、前回誤植が多いことを指摘したが、差し当たり「平井呈一エイプリル・フール」」の章から拾って置く。
・97頁10行め 「相手に引き寄せられた津田は」とあるが、津田はヒロインの姓であって男の方は「原田」。
・97頁18行め 「二階で寝んでいる」は「二階で寝んでいる」であろう。
・98頁5行め 「壮教授」は「壮教授」。
・99頁3行め 「技術の実習に派遣されたことになったのを機会に」とあるがまだ派遣されていないのだから「技術の実習に派遣されることになったのを機会に」だろう。
 この辺り、怪異小説をあまり読まない私もこれは読んだし、読んでいなくても修正案が思い付くレベルの誤りだから良いが、というか初めから校正をきちんとして置けば済むことなのだが、そうでないところで、知識がないと追い付かないような誤りをされていたら、どうしようもない。今から山下氏に質す訳には行かないし、山下氏の挙げる本を全て確認して回る余裕などもちろんないので、どなたか怪異小説に詳しい人で、正誤表や注釈を作成してもらえると有難いです。私も通読してから疑問点をまとめてみるつもりである。
 ところで、山下氏は初刊本『真夜中の檻』の江戸川乱歩「序」を紹介して、中島河太郎「跋」を援用しつつ次のように述べている(104頁8〜17行め)。

……、乱歩は引き続きこの作者が実作の筆を/執ることを期待していたようだが、平井呈一は再び小/説を書かなかった。この辺がディレッタントディレッタントたる所以で、「真夜中の檻」と「エイ/プリル・フール」の二篇も、発表を目的として執筆したものではなかったらしい。正確な執筆年代は/不詳だが、中島河太郎氏によれば、談たまたま妖異譚の衰微を嘆じ合ったさい、「嚢を開いて提示さ/れた」一篇が「真夜中の檻」だったという。「エイプリル・フール」もそのころすでになっていたも/のと見てよかろう。西洋怪談を愛好するあまり、「自分でも書いてみようということに」なって怪談/を物したと乱歩が見るのは、さすがに平井呈一の癖をよく知る者の言だ。二篇ともあくまで毀誉褒貶/を度外視したアマチュアリズムの産物なのである。成功したら創作に転じようなどという腥い考えは/毛程もなかったはず。*1


 山下氏は、この2篇を「ディレッタント」として「発表を目的と」せずに「執筆したもの」ということにしたいらしい。そこで「正確な執筆年代は不詳だが」などというのであるが、どちらも初刊本の出た昭和35年(1960)の執筆だとしか思えない。
 まず「真夜中の檻」について云えば、1月19日付(02)に引用したように、主人公の手記を発表した編者が冒頭に付記した文章(文庫版17頁)の末尾に「――昭和三十五年孟夏、編者しるす」とあった*2。(以下続稿)

*1:ルビ「のう・へき・なまぐさ」。

*2:主人公及び編者が書いている時間の経過からしても昭和35年(1960)は動かない。