瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

現代詩文庫47『木原孝一詩集』(3)

 内容は、1頁(頁付なし)扉、3〜8頁(頁付なし)「目次」、4〜160頁は中扉を除き2段組。
 9頁(頁付なし)中扉「詩篇」10〜30頁「Ⅰ」31〜43頁「II」44〜67頁「III」68頁〜80頁上段「IV」80頁下段〜96頁「未刊詩篇から」97〜112頁「放送詩劇」(1篇「記憶の町」)。
 113頁(頁付なし)中扉「詩論・自伝」114〜124頁「現代詩の主題」125〜138頁「世界非生界」。
 139頁(頁付なし)中扉「作品論・詩人論」140〜149頁平井照敏「生きている者のための祈り 木原孝一小論」150頁〜152頁上段柴田忠夫「木原孝一の詩劇について」152頁下段〜154頁清水脩「私は木原孝一を「知らない」 詩を作曲して」155〜160頁夏川圭「詩人におけるリアリティーのために」。
 奥付、その裏が「現代詩文庫 第I期」78点の目録。
 このうち、清水氏の文章の最後に(一九七一年十一月十六日記)とある。私の手許にある第七刷(一九八七年六月一日)の奥付には「発行 ・ 一九六九年四月十五日第一刷」とあるから、これは第一刷よりも後に書かれていることになる。従って、第一刷に清水氏の文章は存在しなかった、――後の刷で追加された、ということになるのだが、だとすると前後の、柴田氏や夏川氏の文章も第一刷に存在したのかどうか、不安になってくる。或いは、この奥付の「第一刷」の日付が間違っている可能性もあろう。これについては今後の課題として、より早い刷、特に第一刷を確認する機会を得たい。

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 まず「Ⅰ」の最初、10頁〜12頁上段3行め「音楽1」について。
 これは木原氏の生まれた年から戦争までを扱っている。第2連「ロンドンでは ひとりの詩人が/「荒地」のなかにしきりに神の降誕を求めていた」はT・S・エリオット(1888.9.26〜1965.1.4)とその詩「荒地」、「パリで……われわれの/「ユリシイズ」を熱烈に夢みた」のはジェイムズ・ジョイス(1882.2.2〜1941.1.13)とその小説『ユリシーズ』。第3連「わたしは乳房を吸う舌のさきで/そのひとたちの言葉を聞いたように思う/……」とあるのだが、この2つの作品はともに木原氏の生まれた大正11年(1922)に発表されている。
 第4連「三才 大きな地震があった/わたしの部屋は燃え/……」とあるが、大正12年(1923)9月1日の関東大震災であろう。但し自伝125頁下段には「125頁下段「大正十二年、春、東京市外目黒町五反田に移る。この年、九月一日、関東大震災。目黒川岸のちいさな家は一瞬にして潰れたというが、記憶にない。震災後、さらに郊外の、東京府荏原郡荏原町中延に移る。」とあって、確かに数えでも二歳、満年齢で1歳半だから記憶がなくて当然である。ここから、歴史的事実を厳密に配置しようとしていないことが分かる。ちなみに自伝「五反田」は(荏原郡)目黒町ではなく(荏原郡)大崎町である。目黒町は現在の目黒区、大崎町は現在の品川区。荏原郡荏原町とあるが当時は平塚村で、後、平塚町を経て荏原町となり、東京市荏原区を経て、戦後、品川区と合併。
 第7連「ひとりの天才が世界一周飛行に成功した/ふたりの無政府主義者が死刑になった/支那の英雄が爆薬で殺された 豪華な専用列車とともに」とあるが、史上初めて「世界一周飛行に成功した」のは昭和2年(1927)8月8〜27日、ドイツの飛行船によってで、これでは「ひとりの天才」に合わない。これは昭和2年(1927)5月20〜21日のチャールズ・リンドバーグ(1902.2.4〜1974.8.26)による大西洋単独無着陸飛行と混同しているものと思われる。そして「ふたりの無政府主義者」は昭和2年(1927)8月23日に処刑されたニコラ・サッコ(1891.4.22〜1927.8.23)とバルトロメオ・ヴァンゼッティ(1888.6.11〜1927.8.23)。「支那の英雄」は昭和3年(1928)6月4日に爆殺された張作霖(1875.3.19〜1928.6.4)。
 第8連の最後の3行「はるかに遠いところから/三人の独裁者の 空に反響する叫びがきこえた/マイン・カンプ!」とあるが、「三人」はアドルフ・ヒトラー(1889.4.20〜1945.4.30)とムッソリーニ(1883.7.29〜1945.4.28)とスターリン(1878.12.18〜1953.3.5)、「マイン・カンプ(Mein Kampf)」は『我が闘争』。
 第10〜12連は「太平洋」上で木原氏の乗っていた「船」が「沈」み、「救命具を背負っ」ていると読める。或いは硫黄島からの帰還の際のことかとも思われるが、その時期のことは自伝にないのではっきりしない。(以下続稿)