一昨日からの「鎮魂歌」の続き。
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第9連は「一九五五年」でここまでは偶数連と奇数連が同じ年の昭和(年号)と西暦だったのが、ここでは10年ずれている。
さて、この詩は周囲からも注目されており、「作品論・詩人論」でも複数の言及がある。
平井照敏「生きている者のための祈り 木原孝一小論」は「沈丁花」を論じた「Ⅰ捨子」、「黙示」を論じた「II全体性の目撃」、そして「鎮魂歌」「冬の旅」「無名戦士」「最後の戦闘機」を取り上げた「III生の詩人」から成り、「鎮魂歌」の第8連と第9連が引用されている。そして、
ある時、ある会でこの詩を朗読したら、中に木原孝一/と小学校で同級であったという婦人がいて、ほんとにあ/の弟さんは天使みたいな人だったと語られ、奇縁にびっ/くりしたことがあったが、この詩を含めて、木原孝一の/詩にはじつにたくさんの死があらわれる。……
とのコメントを附している(146頁下段)。「鎮魂歌」に歌われる弟は、必ずしも事実そのままではないらしいが、周囲に与えた印象が詩と重なるのであればそれも(少しの虚構はあるにしても)詩としての真実、ということになるのであろう。
そのことは、木原氏の「ヴィジョン」「黙示」「鎮魂歌」そして「火の国水の国の譚」「日本の祭」に作曲した清水脩の「私は木原孝一を知らない 詩を作曲して」からも確かめられる。
一九六九年、私は「鎮魂歌」を作曲した。その初演の/夜、木原孝一は隣りの席で聞いていた。曲が始まって数/分と経たぬうちに、はげしい嗚咽の声を聞いた。ハンケ/チで涙をぬぐう姿を見た。この時、私は「詩人」の胸の(153頁)うちを見たように思った。しかし、本当は表面しか見て/いないのである。……
この嗚咽の理由も、詩としての真実、ということになるのではなかろうか。もちろん音楽の力というものも与っていると思うのだが、「鎮魂歌」には録音(や動画)はないらしく簡単には確かめられない*1。清水氏作曲では「黙示」に録音があり、またYoutubeに動画もある。
- アーティスト: 合唱,関西学院大学グリークラブ,東海メールクワイアー,東京混声合唱団,二期会合唱団,北村協一,水谷昌平,清水脩,近藤鏡二郎,高村光太郎,木原孝一
- 出版社/メーカー: 日本伝統文化振興財団
- 発売日: 2005/10/21
- メディア: CD
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*1:昔は楽譜を見れば鍵盤で主旋律くらい弾けたのだが、今は全く無理。