瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

現代詩文庫47『木原孝一詩集』(6)

 一昨日からの「鎮魂歌」の続き。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 第9連は「一九五五年」でここまでは偶数連と奇数連が同じ年の昭和(年号)と西暦だったのが、ここでは10年ずれている。
 さて、この詩は周囲からも注目されており、「作品論・詩人論」でも複数の言及がある。
 平井照敏「生きている者のための祈り 木原孝一小論」は「沈丁花」を論じた「Ⅰ捨子」、「黙示」を論じた「II全体性の目撃」、そして「鎮魂歌」「冬の旅」「無名戦士」「最後の戦闘機」を取り上げた「III生の詩人」から成り、「鎮魂歌」の第8連と第9連が引用されている。そして、

 ある時、ある会でこの詩を朗読したら、中に木原孝一/と小学校で同級であったという婦人がいて、ほんとにあ/の弟さんは天使みたいな人だったと語られ、奇縁にびっ/くりしたことがあったが、この詩を含めて、木原孝一の/詩にはじつにたくさんの死があらわれる。……

とのコメントを附している(146頁下段)。「鎮魂歌」に歌われる弟は、必ずしも事実そのままではないらしいが、周囲に与えた印象が詩と重なるのであればそれも(少しの虚構はあるにしても)詩としての真実、ということになるのであろう。
 そのことは、木原氏の「ヴィジョン」「黙示」「鎮魂歌」そして「火の国水の国の譚」「日本の祭」に作曲した清水脩の「私は木原孝一を知らない 詩を作曲して」からも確かめられる。

 一九六九年、私は「鎮魂歌」を作曲した。その初演の/夜、木原孝一は隣りの席で聞いていた。曲が始まって数/分と経たぬうちに、はげしい嗚咽の声を聞いた。ハンケ/チで涙をぬぐう姿を見た。この時、私は「詩人」の胸の(153頁)うちを見たように思った。しかし、本当は表面しか見て/いないのである。……


 この嗚咽の理由も、詩としての真実、ということになるのではなかろうか。もちろん音楽の力というものも与っていると思うのだが、「鎮魂歌」には録音(や動画)はないらしく簡単には確かめられない*1。清水氏作曲では「黙示」に録音があり、またYoutubeに動画もある。

日本合唱曲全集「月光とピエロ」清水脩作品集

日本合唱曲全集「月光とピエロ」清水脩作品集

*1:昔は楽譜を見れば鍵盤で主旋律くらい弾けたのだが、今は全く無理。