瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

終電車の幽霊(1)

校定 新美南吉全集』第十二巻(日記ノートIII・書簡・画帖)(一九八一年五月三一日初版第一刷発行・一九八三年四月二八日第二刷発行・大日本図書・593頁)の「昭和十六・十七年ノート」(表紙欠)は昭和16年(1941)12月1日から昭和17年(1942)9月17日までの日記。B5判横書きのノート。
 325頁(頁付なし)中扉、326〜385頁本文(縦2段組)、385〜386頁【解 題】、386〜387頁【異 同(牧書店版全集第八巻 昭40)、387〜396頁【語 注】。
 「12.12」条(328〜330頁)は当日の記事ではなく日米開戦の「十二月八日」一日のことが述べられている*1。そして最後に以下の記事がある(330頁)。

   *   *
この頃太田川のあたりから若い女の幽靈が終電車にの/るといふ噂ださうである。彼女は洋装をしパーマネン/トである。いつも電車の後部に乘る。太田川のあたり/でいつの間にかちやんと乘つてゐる。常滑ゆきにのつ/て常滑の方へ行つてしまふこともあるし、河和行にの/つて、成岩あたりまで來て、いつの間にか下りてしま/ふこともあるといふ。先日上の方で若い女が電車から/振り落されて死んださうで、その幽靈だといふ。人の/顔を見てにたにた笑ふので無氣味ださうだ。それでか/どうかわからぬが、その電車の車掌は、乘客に前の方/に乘つてくれといふさうである。
 
僕は終電車のあとで青い火をともして眞夜に走る幽靈/電車のことを書かうと思つてゐた。それにある夜酒に/醉つた男が知らずに乘つてしまふのである。


 【語 注】を見るに、「太田川」と「常滑ゆき」「河和行」に同文の注「第二巻「嘘」語注八五ページ「電車」の項参照。」がある(388頁)。
 『校定 新美南吉全集』第二巻(童話・小説II)(一九八〇年六月三〇日初版第一刷発行・一九九二年二月二五日第四刷発行・大日本図書・426頁)の該当箇所を見るに、

電車  愛知電鉄(現・名鉄)は、名古屋から太田川、/大野を経て常滑に至る線を常滑線太田川から東に別/れて河和に南下する線を河和線と呼ぶ。……*2

とある。太田川駅は現在の愛知県東海市大田町。常滑線は、開業当時は愛知電気鉄道だったが昭和10年(1935)に名古屋鉄道となっている。河和線は愛知電鉄ではなく知多鉄道で、河和線は戦後に附された名称である。大野は大野町駅(現・常滑市大野町)、成岩駅は知多半田駅の1つ先。(以下続稿)

*1:「12.7」条から「12.12」条まで飛んでいる。

*2:ルビ「おおたがわ・とこなめ(線)・こうわ・こうわ(線)」。