瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

終電車の幽霊(2)

 新美南吉(1913.7.30〜1943.3.22)は半田市(生誕時は知多郡半田町)岩滑の出身で、最寄駅は知多鉄道(現・名鉄河和線)の半田口駅である。知多鉄道は愛知電気鉄道常滑線太田川駅から分岐している。
 この話、新美氏は有名人だし、このノートは大日本図書の「校定」全集の前に、昭和40年(1965)に牧書店の「定本」全集にも収録されているから、既に注意されているのではないかと思うのだが、太田川駅常滑線河和線の幽霊で検索してもヒットしない。それで、或いは見逃されている可能性もあろうかと思って、報告した次第である。
 それはともかく、昭和16年(1941)という時期がはっきりしており、しかもこの噂が行われていた当時の記録という点からも、貴重である。
 国立民族博物館の「年表 近代日本の身装文化」を見るに、昭和13年(1938)からパーマネント排撃の動きが生じている。女性の洋装・お洒落に対する圧力も強まっている。そんな時勢に「洋装」で「パーマネント」の「若い女の幽霊」の評判が立った、というのが面白い。
 この、終電車に幽霊が乗る、という話だが、今野圓輔 編『日本怪談集〈幽霊編〉(現代教養文庫666)』(昭和44年8月30日初版第1刷発行・昭和46年9月30日初版第10刷発行・¥240・社会思想社・312+VIII頁)には231〜255頁、第九章「タクシーに乗る幽霊」に「四 終電車の幽霊」と「六 碓氷峠の幽霊娘」という類話が載る*1。前者は大正7年(1918)もしくはその翌年の夏、市電の赤電車に老婆の幽霊が乗っているという評判が立ったという話、後者は終電ではないが、昭和21年(1946)、信越線の夜行が碓氷峠越えの横川〜軽井沢間で、いつの間にか乗り込みそして軽井沢の手前のトンネルで姿を消してしまう20歳くらいの和服のお嬢さん風の娘を複数の車掌が目撃したという話である。
 松谷みよ子『偽汽車・船・自動車の笑いと怪談(現代民話考III)』(1985年11月25日第1刷発行・定価1,800円・立風書房・384頁)では第三章「自動車、列車などの笑いと怪談」の「一、幽霊」の256〜261頁「いつのまにか乗っている死者」がこの型の話で、鉄道の例は今野氏の本から「終電車の幽霊」を再録し(なぜか「碓氷峠の幽霊娘」は採られていない*2)、他に北海道紋別郡常呂郡境の国鉄常紋トンネル・昭和10年(1935)頃、神奈川県の国鉄相模線入谷駅の最終電車国鉄赤穂線昭和36年(1961)頃の合計4例、常紋トンネルは男で時間の指定はない。他は女だが赤穂線は昼間である。これに加えて、自動車3例、タクシー1例、最終バス1例が載る。最終バスの話は淡路島の西浦街道で「最終便のバスの一番後の座席」に「引き逃げ」で死んだ男の幽霊が乗るので「乗客も後に乗らなくなった」というのは、新美氏の記録する話に近い。ただ、時期がはっきりしないのでこれについては初出誌を確認した上でもう少し詳しく紹介したい。
 松谷みよ子『現代民話考[3]偽汽車・船・自動車の笑いと怪談ちくま文庫)』(二〇〇三年六月十日第一刷発行・筑摩書房)では290〜296頁で、2話増補されている。ただ、増補された話はこの型に含めて良いかどうか、微妙である。1つは近所の老婆の葬式からの帰り、夜中にタクシーに乗り、降りようとしたところ運転手に同乗していた老婆はどうしたのかと声を掛けられた、という話(292頁)で、これは、――決まった場所で、そこで死んだ(主に)女性の幽霊がいつの間にか乗っている、というこの話の型とは違うだろう。乗り物の怪談、というよりも「木曾の旅人」の如く「付いて来る幽霊」の話に分類すべきものである。もう1つは、トラックと衝突して事故死した女性の運転していた自動車に、1人で乗っていたはずなのにトラック運転手が同乗者1名を目撃したというので、女性の関係者の写真を見せたところ、同乗していたと指したのは半年前に死んだ母親だったという話(295〜296頁)で、これも、幽霊と同じ乗り物に乗車していて何時の間にかいなくなったことに気付く、或いはいつの間にか乗り込んでいたことに気付く、というこの話の型とは相違するようである*3。(以下続稿)

*1:章題は「タクシーに」となっているが乗り物の幽霊を一括した章である。

*2:2013年10月22日追記】これについては2013年6月8日付(4)に補足をして置いた。

*3:どうもこの文庫版の増補は、あまり良い話が採られていないような気がする。のだが、しかし全体を検討した訳ではないので見当違いかも知れない。