瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山下武『20世紀日本怪異文学誌』(11)

・369頁1〜5行め、三遊亭圓朝『離婚病』の梗概*1の冒頭、

 時代は文明開化の世となってまもなく、下根岸もズッと末の方の閑静なところに武家上がりの高根/晋斎という老人が住んでいた。以前は剣術の師範で大層旧弊なこの老人が妹の娘を預かる。妹は横山/町の薬店境屋*2の女房で、娘のお若に男が出来たため兄の許にお若を預けたのだった。情事の相手は/菅野*3伊之助という一中節の師匠で、若くて、のっぺりした好い男ときて、お若が夢中になったのも無/理はない。ために、鳶頭*4の勝五郎が仲に立ち、伊之助に三百両をやって別れさせて後のお若は、……

となっていて、以下、老人の名は369頁12行め「高根の晋斎」、370頁9・10・18行め、373頁16行め、375頁13行めにも「高根晋斎」とある。してみると、370頁6行めに「……。あわて者の勝五郎、頭を掻き掻き根岸へ戻り高瀬に事の次第を報告したから、……」とあるのは他に「高瀬」なる人物は登場しないので「高根」の誤記もしくは誤植+校正漏れであろう。

圓生百席(8)おみき徳利/お若伊之助

圓生百席(8)おみき徳利/お若伊之助

 私は東京落語はあまり聞かない(上方落語もあまり聞かなくなった)のだが、それでも図書館にある落語CDを一通り借りたことがあって、この「お若伊之助」も『圓生百席』で聞いたと思う。志ん生(五代目)の録音も聞いたと思うがどの盤だか思い出せない。
・369頁12行め「宇闊」は「迂闊」。
・374頁9〜11行め、梗概の続き、

 その先いろいろあったのち、伊之助が幼児里子に出されていた神奈川の百姓家に落ちのびた二人/は、遊んでもいられないところから、口過ぎに、伊之助が一中節の師匠を、お若は針仕事などして、/細々ながら暮しを立てるうちに男の子が生まれ、若次と名付けるまでが第六席である。……

とあるが、「幼児」は「幼時」だろう。「百姓家」に「ひやくしようや」のルビがあるが、これも373頁13行めに「伊之助が子供の頃、里子にやられていた神奈川の在の百姓家」と既出だからその方に附して置くべきだったろう。それはともかく、子供の名前「若次」であるが、375頁13行めには「神奈川で暮していたお若と伊之助夫婦は、子供の岩次も十八歳となったのを機に、……」とあり、376頁15行めにも「伊之助と岩次の父子」とある。378頁4・7行めの原文の引用にも「岩次」とある。原文を見、或いは録音を聞けば分かるのだろうが、今は差し当たり混乱を指摘して置くこととする。(以下続稿)

*1:ルビ「あらすじ」

*2:ルビ「やくてんさかいや」。

*3:ルビ「すげの」。

*4:ルビ「かしら」。