瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

再びコメント欄について(2)

 続き。今回から文体を常体から敬体に変えます*1

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 それから、これは育ち方のせいなのだけれども、手紙を出さないで縁の切れたことが、何度もありました。
 父の仕事の都合で、小学校を3つ、中学と高校は別の地方に通ったのです。そうすると、転校するときなどに、自然と「手紙書くから」、という話になります。特に私の頃は携帯電話もパソコンもなく、遠隔地との連絡と言えば手紙しかありませんでした。
 それが、返事が来なかったりするのです、しばらくすると。……手紙を出すと、どうしても返事を期待してしまうものです。なぜ返事が来ないのかは、分かりません。だって返事が来ないんだから。そうすると、長く気になって、そしてあれこれと不安になってきます。
 それで、お互いに飽きて来た、或いはもう会うこともない、というタイミングを見計らって、出すのを止めることにしたのです。不人情と思われるかも知れませんが、「去者日々疎」で、集団の中から1人だけ抜けた私のことなど直に忘れてしまうだろうし、こちらも1人だけで新たに飛び込んだ集団との生活があります。それに、向こうから返事が来ないのは不安にさせられますが、こちらから出さないのは、こちらが出さないので、理由は明確で何の不安もありません。これなら気に病む必要はなくなります。それに、どうしたっていづれ、殆ど連絡しない状態になるのです。
 そんな訳で、高校までの連中とは音信不通になりました。これが今でも近所に住んでいる、とか他の条件が合えば、まだ連絡くらいしたでしょうが、全く離れた場所にいるのだから、別に連絡先を知らなくとも会うこともないのです。大学の連中とは、まだ音信はあります。しかし、かつては手紙も書いたけれども、今は年賀状だけです。北陸に帰った友人とは、その後8年前に所用があったときに泊めてもらい、それから出張で上京してきたときにたまたま大学院に通院途中の私と乗り合わせて、10分ほど話したことがあって以来、会っていません。関東周辺にいる連中とは、近いのに会っていません。大学院の連中とは、連絡先は伝えてあるけれども、普段は何のやりとりもありません。
 それじゃあ淋しい人のようですが、今の職場の人たちと、別に何かする訳ではないのですが、普通に話はします。それで、別に淋しくはありません。時間に余裕があれば、いえ、なくても、図書館に出掛けるとついつい借りてしまうので、返却期限ごとにどんなに忙しくても出掛けることになります。もっと余裕があれば博物館の展示を見たり、動物園に1人で行ったりしたものでしたが、しかし今年はその余裕もありません。余裕がなくなったのは自業自得なのだけれども、昔から特に遊び仲間などはいなかったので、別にこれで時間は目一杯で、不足も感じておりません。小学校に入学した土地でそのまま成長しておれば、その後転校生の悲哀を感じることもなくすくすくと育ってそんな仲間もいたかも知れませんが、まぁどうだか。分かりません。
 このブログを開設するとき*2に、早速コメント欄について、記入は出来るがアップしないと書いたのも、そういうことで、――話題によっては、コメントが付く可能性もあります。けれども、まともにコメントに対応していたら、かなりの疲労を覚悟しないといけない、と思ったのです。もちろん、ただの挨拶・感想も含め、大量のコメントへの返事をこまめにして置けば、いざというときに縁を作っておいた人物から有益な情報提供を受けたりすることもあるでしょう。それから、その記事に関連する人物が、こうしたコメントのやりとりを見て、「この人になら」と思って思い切って貴重な情報を書き込んでくれるということも、ありましょう。(以下続稿)

*1:2010年12月31日付の最後に文体について断って置きましたが、気分です。今回のものは最初常体で書き始めて、途中から敬体になったので、全体を敬体で統一しました。

*2:2010年12月30日付「御挨拶」