瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

再びコメント欄について(3)

 けれども、私にとって、このブログは交流よりも継続することに意味があるので、それに目下、毎日書き継ぐのでやっとなのです。私は、大学院では本当に酷い目に遭いました。途中、何度も無気力になり、不登校になったこともありました。たまたま職場に恵まれて(もちろん研究系の職業ではない)博士論文は何とか提出しましたが、もう二度とあそこの敷居は跨がない、と心に決めております*1。それでなんとか大学院を退院したのですが、研究の方面の仕事と全く縁を切ることは出来ませんでした。実際、私は自分の状態がそんなに悪くなっているとは思っていなかったのです。だから、最悪であったあの大学院との縁さえ切れれば、後は気楽に、就職のための箔作りだのという下心も何もなしに、好き勝手に研究を続けられると思っていたのです。しかしながら、それどころでなく専門の分野のことに手が付かなくなってしまいました。それには別の、やはり研究がらみの不愉快極まりない事件、後輩のために良かれと思ってしたことが裏切られる(論文の査読を頼まれたのですが、真っ先に見ておくべき資料の準備も不十分な上に数少ない参照した先行研究で示された論点でさえも咀嚼しきれていない、とてもでないが掲載出来るレベルになっていない代物でしたので、執筆者が当然踏むべき手続きについて、根拠として細々と論文や参考資料を挙げて、編集担当者に取り下げるよう執筆者に指導するよう返事を出したところ、その後一切の連絡のないまま、なんとその論文が、私の示した数多くの資料や論点を何の断りもなしに丸取りして発表され、そのことについて編集に抗議すると、中立であるべきその会の会長から、まずは慇懃無礼な応答、次いで何らかの対応を求めたところ、今度はクレーマー扱い、をされたことがありました。これについても、そのうち、この剽窃の原因と詳細とを、明らかにしたいと思っています)ということも絡んでいると思うのですが、そんなときでも、やはり図書館通いだけは(もちろん仕事も)続けていて、そのときふと思い付いて、専門外の、もともと嫌いでなかった別の分野の調べに没頭したことが、精神的なリハビリになったのでした。本当に最悪の時期には、寒冷な時期は家にいると炬燵に入ったまま何もする気が起こらなかったものです。まぁ今も少しマシになったという程度かも知れませんが。
 こんな自分語りは、もうしばらくは、しないで置くつもりだったのですが、改めて*2、コメントをもらってもこちらの都合によって、特に返事の必要を認めなければ返事をしない、ということを表明して置きたく、述べてみたところ、こんな話になってしまった次第です。別に不快だから返事をしないのではありません。そうではなく、手紙の返事が書けないのと同じで、……私は自分の調べた結果についてメモしているまでで、それ以上の見解がある訳ではありません。書いていないことについて聞かれても正直困りますし、これ以上どう返事をすれば良いか分からないし、今はネットのある時代ですから分かりそうなことは自分で調べて欲しいし、それに私がこれ以上細々と意見をしたりするのであれば、それは私の提示した資料を剽窃した後輩に対するのと同じく、こんなことになるなら何も教えてやらなければ良かった、ということになるでしょう。(以下続稿)

*1:関係した教員がいなくなった頃に、参考までに一部始終を書き留めて置こうと思っています。

*2:2011年2月13日付「コメント欄について」