一昨日からの続きで『ちくま日本文学全集023』と『ちくま日本文学029』及び『夏目漱石全集2』について。
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4月4日付(07)及び5月13日付(10)で問題にした「三」章の「二字アケル」だが、『夏目漱石全集2』278頁7〜8行め、
そのうち学校もいやになった。 ある日の晩大町と云う所を散歩していたら郵便局の隣/りに蕎麦とかいて、……*1
とあって、空白の右脇の下寄りに(4)とあって、279頁の小口注に「(4) 原稿に漱石自身の指定で二字アケルとある。」とある。
そして『ちくま日本文学全集023』44頁13〜14行め、
そのうち学校もいやになった。 ある日の晩大町と云う所を散歩していたら/郵便局の隣りに蕎麦とかいて、……*2
空白の右脇の下寄りに(11)とあり、45頁の小口注は『夏目漱石全集2』279頁(4)に同じ。『ちくま日本文学029』も同じ頁で同文だが、注番号が(52)になっている*3。これは『ちくま日本文学全集023』では章ごとに注番号が打たれていたのに対し、『ちくま日本文学』では「坊っちゃん」全体での通し番号になっているためである。すなわち『ちくま日本文学全集023』の章ごとの注を拾って行くと、一(23)二(18)三(16)四(12)五(30)六(23)七(19)八(16)九(34)十(17)十一(15)で合計223項、『ちくま日本文学029』の最後の注番号は(224)で、1項目増えている。増えたのは「七」で、『ちくま日本文学全集023』123頁小口注が「(19) 遊女をあげて遊ぶための家。」だったのが、『ちくま日本文学029』123頁では「(141) 遊女をあげて遊ぶための家。 (142) 婚約者。」となっている*4。
さて、青空文庫はこの本文をそのまま入力しているのだが、この「二字アケル」処理は注がないと何でそんなことをしたのか分からないのだから、注もなしに「二字アケル」のはどんなものか。尤も注があったら「二字アケル」理由は分かるが、なぜ漱石がそんな指定をしたのかは、やっぱり分からない。