瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

太宰治『斜陽』の文庫本(5)

新潮文庫261(5)
 手持ちの、じゃなかった、手借り(?)の資料で一通り確認してきたけれども、③④の時期については増刷に際して殆ど(というか、全く?)手が加わっていないものと思われるのだけれども、の時期のものは、どうも怪しい。国会図書館OPACに改版された(とされる)三十九刷との相違については、昨日一応の説明を済ませたのだけれども、どうもそれだけに済みそうにないのである。
 楽天オークションのり君3氏が出品している『斜陽』の写真を見るに、山下清澄のカバーで、裏表紙の紹介文は八十六刷と一致、それから88〜89頁の見開きの写真が示されているのだが、これが、これまで私の見た版と一致しないのである。
 出品者は発行時期を示していないが、表紙の写真には帯がかかっていて、海辺の岩に立つ小林薫の写真に「インテリげんちゃんの、夏やすみ。/想像力と数百円/新潮文庫の100冊」とある。この「インテリげんちゃん」は何となく記憶に残っている。「新潮文庫の100冊」の「04 100冊の歴史」の「1985年」及び「ほぼ日刊イトイ新聞」の「新潮文庫のささやかな秘密。」の2005-08-12第七回 夏の思い出は文庫でも」によると、昭和60年(1985年)のものである。従ってこの本も「昭和60年増刷」と推定して良いであろう。
 してみると、昭和62年(1987)の八十二刷改版と相違するのは(私が見たのは八十六刷と百刷)当然のことなのだが、これが、の(はずの)三十九刷とも、違っているのである。
 三十九刷の86頁18行めから89頁6行めまでを引用してみる。このうち、昭和60年増刷の88〜89頁を太字で示した。

「あなたは、恋をなさってはいけません。あなたは、恋をしたら、不幸になります。恋を、なさ【以上86頁】/るなら、もっと、大きくなってからになさい。三十になってからになさい」
 けれども、そう言われても私は、きょとんとしていました。三十になってからの事など、その/頃の私には、想像も何も出来ないことでした。
「このお別荘を、お売りになるとかいう噂うわさを聞きましたが」
 師匠さんは、意地わるそうな表情で、ふいとそうおっしゃいました。
 私は笑いました。
「ごめんなさい。桜の園を思い出したのです。あなたが、お買いになって下さるのでしょう?」
 師匠さんは、さすがに敏感にお察しになったようで、怒ったように口をゆがめて黙しました。
 或る宮様のお住居として、新円五十万円でこの家を、どうこうという話があったのも事実です/が、それは立ち消えになり、その噂でも師匠さんは聞き込んだのでしょう。でも、桜の園のロパ/ーヒンみたいに私どもに思われているのではたまらないと、すっかりお機嫌を悪くした様子で、/あと、世間話を少ししてお帰りになってしまいました。
 私がいま、あなたに求めているものは、ロパーヒンではございません。それは、はっきり言え/るんです。ただ、中年の女の押しかけを、引受けて下さい。
 私がはじめて、あなたとお逢いしたのは、もう六年くらい昔の事でした。あの時には、私はあ/なたという人に就いて何も知りませんでした。ただ、弟の師匠さん、それもいくぶん悪い師匠さ/ん、そう思っていただけでした。そうして、一緒にコップでお酒を飲んで、それから、あなた
は、ちょっと軽いイタズラをなさったでしょう。けれども、私は平気でした。ただ、へんに身軽【以上87頁】/になったくらいの気分でいました。あなたを、すきでもきらいでも、なんでもなかったのです。そのうちに、弟のお機嫌をとるために、あなたの著書を弟から借りて読み、面白かったり面白くなか【以上88頁】ったり、あまり熱心な読者ではなかったのですが、六年間、いつの頃からか、あなたの事が霧のように私の胸に滲*1み込んでいたのです。あの夜、地下室の階段で、私たちのした事も、急にいきいきとあざやかに思い出されて来て、なんだかあれは、私の運命を決定するほどの重大なことだったような気がして、あなたがしたわしくて、これが、恋かも知れぬと思ったら、とても心細くたよりなく、ひとりでめそめそ泣きました。あなたは、他の男のひとと、まるで全然ちがっています。私は、「かもめ」のニーナのように、作家に恋しているのではありません。私は、小説家などにあこがれてはいないのです。文学少女、などとお思いになったら、こちらも、まごつきます。私は、あなたの赤ちゃんがほしいのです。
 もっとずっと前に、あなたがまだおひとりの時、そうして私もまだ山木へ行かない時に、お逢/いして、二人が結婚していたら、私もいまみたいに苦しまずにすんだのかも知れませんが、私は/もうあなたとの結婚は出来ないものとあきらめています。あなたの奥さまを押しのけるなど、そ/れはあさましい暴力みたいで、私はいやなんです。私は、おメカケ、(この言葉、言いたくなく/て、たまらないのですけど、でも愛人
*2、と言ってみたところで、俗に言えば、おメカケに違いいのですから、はっきり、言うわ*3)それだって、かまわないんです。でも、世間普通のお妾*4の/生活って、むずかしいものらしいのね。人の話では、お妾は普通、用が無くなると、捨てられる/ものですって。六十ちかくなると、どんな男のかたでも、みんな、本妻の所へお戻りになるんで【以上88頁】/すって。ですから、お妾にだけはなるものじゃないって、西片町のじいやと乳母*5が話合っている/のを、聞いた事があるんです。でも、それは、世間普通のお妾のことで、私たちの場合は、ちが【以上89頁】/うような気がします。あなたにとって、一番、大事なのは、やはり、あなたのお仕事だと思いま/す。そうして、あなたが、私をおすきだったら、二人が仲よくする事が、お仕事のためにもいい/でしょう。すると、あなたの奥さまも、私たちの事を納得して下さいます。へんな、こじつけの/理窟みたいだけど、でも、私の考えは、どこも間違っていないと思うわ。


 こうしてみると、昭和60年増刷の88〜89頁は、昭和42年の三十九刷の87頁3行めから89頁2行めまでに、ほぼ相当している。1頁18行で1行43字であることも同じ。行移りの位置は同じだが、途中赤で行移りの位置を示したところが2字ずつズレている。これは、活版印刷であった時期に、行頭に句読点を打つのを避けるために1字少なくしたからで、ズレ始めた行は「は」が43字めで読点「、」が次の行の1字めに来るところを、「は」を次の行の1字めに回している。昭和60年増刷では、句読点を「ぶら下げ」て、読点「、」が44字めに配されているのだが、活版印刷ではこれが出来なかったのである。或いは、その行にある句読点を半角にして詰めて字数を増やして、行頭に句読点が来ないように調整した文庫もある。
 ここで不審なのは、三十九刷と昭和60年増刷とでは、なぜか16行のズレが、後者の方が16行増えるというズレ方をしていることで、「ぶら下げ」が可能になったことで、行数は後者の方が、例示した部分でも一時的に2字分詰まっていたように、少なくなる可能性が高いはずだ。そうすると、別の理由で16行ズレているとしか思えないのだが、今は国会図書館所蔵の「39刷改版」と「三十九刷」の17頁のズレの理由が、評伝・年譜の追加、作品解説の差替えだけではなさそうだ、という見当を付けて置くまでにしたい。こんなこと書いているうちにとっとと現物を見に行けば良いのだけれども。(以下続稿)

*1:ルビ「し」。

*2:昭和60年増刷=「でも、愛人」。

*3:昭和60年増刷=句点「。」なし。

*4:ルビ「めかけ」。

*5:ルビ「うば」。三十九刷は下寄せ、昭和60年増刷は上寄せ。