瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張「装飾評伝」(1)

 昨日取り上げた光文社文庫『誤差(松本清張短編全集09)』は、まず「氷雨」から読んだのだが、それから、巻頭5〜36頁の「装飾評伝」を読んだ。5頁は中扉、6頁が白紙で7頁から本文。36頁、末尾に(「文藝春秋」昭和三十三年六月号)とある。
 私は、松本清張の長篇は、どうも好きではない。『砂の器』も部分的には映画よりも良いと思うところもあったけれども、要らぬ部分を削ぎ落とした映画の方が、優れていると思う。それから、人に勧められて『Dの複合』を読んだけれども、標題にもなっている「Dの複合」が無理矢理過ぎて、腹立たしさを通り越して馬鹿馬鹿しくなった。これらについては、改めて読み返す気にならないが、また別に記事にしようとは思う。短篇はその点、無理が少ない気がする。しかし短篇集を何冊か読んだくらいである。で、短篇から映像化したものと、長篇からのそれと、比較してみるのも面白いかも知れない。私は殆ど読んでいないから、無理だけれども。ただ、母が松本清張原作の2時間ドラマが好きで、必ず見ていたので、読んではいないが、30年くらい前から結構見ているはずである。
 「装飾評伝」は映画にもTVドラマにもなっていないようだ。
 読んでみると、いろいろと気になるところがある。
 主人公は松本氏本人と思しき小説家の「私」で、天才画家の「名和薛治*1」の生涯を「小説」に書きたいと思い、その評伝めいた本『名和薛治』を書いた彼の親友「芦野信弘*2」の遺族、娘の「陽子」を訪ねる。……というのが発端である。
 気になったのは登場人物の年齢である。このブログの初めてのまともな記事である2011年1月1日付「森鴎外『雁』の年齢など」に書いたけれども、どうも年齢の確認をしないと気が済まないのである。ちなみに年齢の勘定の仕方などについての考えは2010年12月31日付「年齢と数字」に述べて置いた。少し変わったところもある。それから、用法が違うのに敢えて使った「右往左往」は誰かの誤用を面白がって「それこそ」とか言って使ったのだけれども、誰の誤用だったのかもう思い出せない。時事ネタの使用には注が必要なのだと(そのときは分かり切ったことを、と思えても)つくづく思った。
 それはともかく、名和薛治については、まず「一」章の7頁に「昭和六年に死んだ名和薛治」「四十二歳の死」とあり、そして8〜9頁に「芦野信弘著「名和薛治」の巻末にある年譜から抜いた彼のだいたいの生涯」(9頁)が記述される。すなわち、「名和薛治は明治二十一年東京に生まれた。」に始まり、以下尤もらしく記述されて行くのだが、これで名和薛治の生没年がはっきりした。明治21年(1888)生、昭和6年(1931)没、数えだと四十四歳の計算だから「四十二歳」というのは満年齢だ。43歳の誕生日を迎える前に死んでいるのである。
 これは、問題ない。問題があるのは、彼の周辺の人物の年齢である。(以下続稿)

*1:ルビ「なわせつじ」。

*2:ルビ「あしののぶひろ」。