瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

四代目桂文團治の録音(2)

 桂文團治とは全く関係のない話になってしまったが、このままキリの良いところまで続けてみる。

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 最後に米朝を見たのは、歌舞伎座の独演会だった。1990年代の鈴本、それから『特選!!米朝落語全集』に衰えを感じていた私としては、行って幻滅することになる怖れもあって、行くつもりはなかった。……のだが、大学院の別専攻の後輩が「行きましょうよ」と言って歌舞伎座まで行って券を取ってくれたので、補助席に座って見た。思えば私の院生生活の中でも、最ものどかで楽天的な時期だった。
 この会についてはNHKが取材していて、後日、NHKスペシャル桂米朝 最後の大舞台」と題して、平成14年(2002)6月2日(日)に放映された。6月8日(土)にも教育テレビでETVスペシャル「桂米朝 最後の歌舞伎座独演会」として高座をたっぷりと紹介していたらしいが、こっちの方は見た記憶がない。この番組の情報を検索していて、この独演会が4月29日(月)だったことも分かった。思い出せない。
 しかし、ひどい番組だった。あの「百年目」は、途中で仕込んで置くべき要素を抜かしていた。私は「あっ」と思った。――今は掛布団の上で寝てしまうこともあるくらいで、もう就寝前に落語を聞かなくなって久しいので、気付けないかも知れないが、当時は分かったのである。それで、どう誤魔化すのか、と思っていた。話が破綻する程ではないが、後の筋だかギャグだかに絡むことを、言い忘れたまま進めてしまった。その場面に差し掛かったとき、それこそ下手な人間だったら絶句しかねない。
 ――その辺りのことをきちんと覚えていて、それで説明出来れば良いのだけれども、録画もしなかったし細かい記憶がないのでこんな曖昧な話で申し訳ないが、その場面に差し掛かったとき、米朝落語を聞き込んでいない人にはあまり不自然を感じさせないような程度に、上手く誤魔化したのである。緊張を強いられていた私も、ほっと胸を撫で下ろしたものだった。……そして、もう米朝師匠が東京に来ることがあっても、見に行かないと心に誓ったのである。
 終演後、私と後輩は東銀座駅が混んでいるので、歌舞伎座の東側を廻って人通りの少ない裏筋へ廻り、それから今はなき奥村書店に立ち寄って、そこからはどうやって帰ったのかもう記憶がないのだが、そのとき、歌舞伎座の東側の搬入口にNHKの車が止まっていて、まだ明るかったが、辺りにサングラスを掛けた態度の大きい肥えた中年男性が立っていたのを見掛けた。――何だろう、と思ったのが、例のNHKスペシャルの取材班だった訳だが、放映されたNHKスペシャルはこのときの邂逅そのままの、なんだか後味の悪いものに出来上がっていた。
 それと云うのも、どうも、担当者から、上方落語への理解や、米朝師匠への敬意のようなものが感じられないのである。もっと分かっている人、いるんじゃないか、と思いながら見ていたのだが、NHKと云えばこないだも、ロンドンオリンピック閉会式で、大会公式ソング「サバイバル」演奏中に、一言もそのバンドと曲について触れずにここぞとばかりに雑談させていたくらいだから、人材がいても上手く配置されていないのは今も同じだし、まぁ、NHKに限った話ではないんだろうけど。(以下続稿)