瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

四代目桂文團治の録音(3)

 上方落語の録音について書いてみる気になって、過去に聞いた上方落語について回想して題とは全く関係のない、平成14年(2002)の歌舞伎座米朝独演会とそのNHKスペシャルについて書き始めしまって、まだ終わらないが、仕方がないからもうしばらく、続ける。

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 それが頂点に達したのが「百年目」を演じた後、楽屋に押し掛けてしつこく「今日の出来は?」と聞いた、アレである。楽屋に籠もって陰鬱な表情をしているのだから、聞かなくても分かるだろうに、答えを貰わないと帰れないガキの使いのようにしつこく聞くのである。米朝の「百年目」は完成されているから、『桂米朝上方落語大全集』と『特選!!米朝落語全集』の録音(後者にはビデオもあり)を繰り返し聞いておれば、今日の出来が、うっかり一部を抜かして、誤魔化せたものの満足の行くものでなかったことくらいは、察せられたはずだ。そのような理解がないから馬鹿みたいに「今日の出来は?」と繰り返す。漸く米朝の口から絞り出されたのが、「吉朝に聞いとくなはれっ」だったのだ。桂吉朝(1954.11.18〜2005.11.8)はこの会で兄弟子の桂ざこば(1947.9.21生)とともに一席勤めていて、取材班と師匠の仲介役のような役を任されていた。取材班とともに師匠を見守っており、当然しくじりにも気付いている。このときも、取材班に付き添って楽屋の外で苦笑していたように記憶している。しかし、あそこが駄目だった、なんてことは、「吉朝に聞いとくなはれ」の前にも後にも言わなかったと思う。ただ、師匠が「聞いとくなはれ」すなわち「説明しても良い」と言ったのだから、実は巧く誤魔化しましたがあそこを飛ばしてまして、くらいの説明は、しても良かったのではないか、という気がする。ところで「吉朝に聞いてくれ」が検索候補として上がってくるのでいくつか見てみると「信頼されていたのでしょう」などと云う見解が示されている。そりゃ、信頼はしていたとは思うけれども、あの台詞の意味は、単に「出来が良かったかどうか、どうしくじったのかは、見ていた吉朝が良く分かっているはずだから、吉朝に聞いておくれなさい」ということで、あそこにいたのが吉朝だったから「吉朝に……」になったので、「吉朝」のところは別の弟子を代入することも不可能ではない*1
 検索候補には上がって来ないが、さすがに「吉朝に聞いとくなはれ」で検索すると、この辺りをきちんと押さえた文章が上がってきた。「log osaka web magazine」の、石淵文榮「ぶちの独り言」の⑤「失われゆくもの vol.4 “聖域”(2)」と⑥「失われゆくもの vol.5 “聖域”(3) 」で、日付はないが同年中に書かれたものらしい。

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 別に私が書かなくても良いようなことで長くなった。しかも、10年前のことで記憶が曖昧になっているのに何ら確認もせずに書いている。思い違いもあろう。しかし、NHKスペシャルが、あの歌舞伎座独演会修了直後に邂逅した、NHKスタッフの印象通りの出来であったことは、あの場にいた者として書いて置いても良いような気がしたのである。客席が映ったときに■■服を着た私も、一瞬映っていることだし*2。(以下続稿)

*1:不可能ではないとしても、あそこは「吉朝に」にしか、ならなかったようにも思う。「ざこばに……」にはならなかったろう。ところで私には「吉朝に聞いとくなはれ」としか聞こえなくて、今でも頭に焼き付いているのだが、この「吉朝に聞いてくれ」というのは、標準語訳なのだろうか。しかし「なはれ」は尊敬の補助動詞「なはる」の命令形(現在では「なはる」は単独では、つまり自立語としては、使用しなくなっているから、付属語=助動詞とするべきかも知れない)だから「くれ」としてしまうのは違和感がある。上手く訳せないけれども。

*2:捜す人がいるとも思えないが、念のため伏せ字にして置く。