瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

真白き富士の根(1)

 確か、昭和59年(1984)の夏だった。徒歩で早朝(当時の)自宅を発した私は、十二所から鎌倉に歩いて入って、浄明寺・雪の下・小町・大町・材木座から飯島の岬を和賀江島を望みつつ回り、小坪を経て逗子に入った。そして、逗子駅の東の踏切を渡っているとき、この時報を聞いたのである。15時だったかと思う。今はもう逗子に行っても流れていないらしい*1

 当時、この曲について全く知らなかったので、遭難事故の追悼という意識もなく、ただ徒歩旅行の先で聞いた印象的な旋律、ということで記憶したのだった。その後、中学時代に自転車で逗子に行く機会は何度かあったが、この時報を聞いたのは最初の機会だけだった。上手く正時に行合わなかったのか、いや、その後聞いたことがあったとしても、覚えていないのかも知れない。――もう記憶も薄れてしまったが、この徒歩旅行のことは、当時自動販売機が300mlガラス瓶全盛で、途中で何本も買って渇きを癒していたことも含め、断片的だが今でも思い出されるのである。

*1:2016年10月13日追記】逗子・葉山アマチュア無線クラブのWebサイト「逗子・葉山アマチュア無線クラブ JA1YUU 【 8J1ZC 】」の、2013/01/01「(7) JR逗子駅周辺の話 その2」に、この当時の逗子市民による回想が載る。