瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(38)

 一昨年の「七人坊主」の記事について、きっかけとなった小池氏の本のことどもをだらだらと述べてみる*1

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 小池壮彦の本は、怪談の検証をした本としては、他の著者の書いたものより読み応えがあるような気がするので、図書館で見掛けると立ち読みしたり、借りて読んだりしている。ただ、あまり図書館では購入しないのか、借り出されてるのか、滅多に目にしない。
 しかしそれもこれも、先入観のせいである。というのも、10年くらい前だが小池氏のコラムを読んで、今検索してみると平成10年(1998)に刊行された別冊宝島415「現代怪奇解体新書」(宝島社)なのだが、その実証的であることに感心したのである。
 「学校の怪談」が常光徹の『学校の怪談』を契機にブームになったとき、私はただ苦々しい気持ちで眺めていただけだったが、最近になって、宮田登が常光氏の「発見」を、異様に高く評価していたことを知った。別に詳しく書くつもりなのでここでは簡単に済ませるが、――しかしそれは民俗学者にとっての「発見」なのであって、大抵の児童生徒は学校の怪談など、それ以前から空気のように知っていたのである。むしろ、常光氏や宮田氏がそれまで学校の怪談を意識していなかったらしいことの方に、私は奇異の念を抱く。
 『学校の怪談』が流行りだしたとき思い出したのは、従弟が購読していた小学館の学習雑誌だった。小学館の「小学×年生」の投書欄に、自分の通う学校の怪談の報告が載っていたのである。家で買っていた「学研の学習と科学」にはついぞないコーナーだったので(しかし学研はあの「ムー」の版元なのだが)学習雑誌にこんな馬鹿馬鹿しいものを載せて……と印象に残っている。
 それで、常光氏のあの本が出たときに、私が一番気になったのは、時期が考慮されていないことだった。以前から存在していたものを「発見」したのだから、それ以前にもある程度、こんな話はメディアには拾われていたのだということが(意図的ではないにしても)ないがしろにされている。というか、あれは児童読物なんだし*2、あんなことになっては、あのような形では混ぜっ返すしかなかったろうが、あの本の出た当時の児童生徒と、それより上の私らの世代と、その親の世代と、そのまた親の世代と、そしてブームが去った現代の児童生徒と、数十年を経る間に学校も随分変わっているはずである。私の父は寄宿舎には入らなかった(蒸気機関車で通学)が、昭和20年代に旧制中学だった新制高校に入学した世代だから、当然のように寄宿舎の怪談に親しんでいる。しかしその倅である私の世代では寄宿舎の生活は、もう想像出来ない。便所の怪談はどうだ。今の児童生徒は「便所」という言葉は知っているんだろうが、平生「便所」と言うのだろうか。「トイレ」になっちゃったんじゃないのか。「ぼっとん便所」なんて知らないんじゃないか。和式で用が足せないくらいなんだもの。私は小学2年生まで住んでいた地方都市で、裸電球しか付かない汲取り便所で、ホルダーがなかったので巻紙ではなく、隅に重ねてあった四角い紙で尻を拭くような(流石に新聞紙ではない)家に住んでいた。ちなみに風呂場にシャワーはあった(壁から干からびた蓮の花托みたいなものが斜め下向きに突き出していた)が、錆び付いていて使えなかった。もちろん家に汲取りに来るバキュームカーもたびたび目にした。和式だと便座なんて要らないから、無駄に暖める必要がないのである。しかし今や洋式が標準になってしまって、便座が冷たいと文句を言っている。それにしても、公衆「トイレ」が綺麗になったことと言ったら。あの、独特の悪臭もしなくなった。随分明るくなったのではないかと思う。私は大学時代、今はなき古い校舎の穴蔵のようなサークルボックスを抜け出して、中庭の南の棟の3階の便所で用を足した。南向きの、いや、直射日光の記憶はないからやや東向きだったのだろうか(朝っぱらからサークルボックスにたむろしないだろうから)、大きな窓があって、とにかく明るい。2つある個室のうち1つは、その窓から用を足しながら空が眺められた。窓の一部が個室の仕切のこちら側にまで入り込んでいたのである。しかも和式だった。……尾籠な話で恐縮です。――何が言いたいかと言うと、白い陶器の便器で、水洗になったらもう、便器から手が出て来たりしないだろう、と。別冊宝島415「現代怪奇解体新書」で小池氏が取り上げていたような、個室の仕切の上から睨まれる、というパターンに、下から来るのではなく上から、と云う風に、怪異の襲って来る方向が逆さまになってしまうのだろう、という訳です。白くて艶があって暖かい便器に、怪異の割り込む余地はなくなって、個室の閉鎖性とか暗さとか、……便器だって和式は下に食い込んでいたのが、洋式は上に突出した恰好ですから、下に引き込まれるような怖さは、今の「トイレ」には望むべくもないのです。
 それはともかくとして、この別冊宝島415「現代怪奇解体新書」で小池氏は事件当時の新聞などまで引っ張り出して、現在流行している怪談の源流(と変遷)を探っていたのでしたが、時代と世代の違いに目配りした整理をしないといけないのではないか、と考えていた私にとって、非常に好感の持てる態度であった訳です。――「読み応え」を感じた理由も、ここにあったのでした。(以下続稿)

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 一昨日書いたのだが、ただでさえ長い上に思い付いたまま書いてみたので、読み返して加筆するうちにどんどん長くなって収拾がつかなくなって来た。そこでひとまず、全く「七人坊主」に触れていないけれども前半だけを上げて置く。

*1:最初の記事は2011年10月13日付(1)

*2:だとすると問題は、学者が研究対象に対してピンポンダッシュみたいな、いえ、マッチポンプみたいなことをしたこと、すなわち「学校の怪談」を研究対象にしながら標準(?)となるような「学校の怪談」の話例や解釈を、そのフィールドに注入し続けていたこと、の方になってきますが、それはここではなく、別に考えないといけないでしょう。