瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』(1)

『東京近郊怪奇スポット』1996年7月10日初版発行・定価1165円・長崎出版・186頁・四六判並製本
 Amazon詳細ページに書影がある。カバー裏表紙折返しに中央左寄りに縦組み明朝体で「装幀――吉野冨士彦」とある。
 カバー表紙折返し、上部に新宿の高層ビル群をネガポジ反転させた白黒写真があって、その下に縦組みで「魔界都市、東京へようこそ /いわゆる名所から穴場まで/その数、あわせて九十。/行くか、戻るか・・・/決めるのはあなた自身。」とある。薄い菫色の見返し、扉は本文共紙で標題と著者名が縦組み、その下に版元名が横組み。1頁(頁付なし)「まえがき」教科書体。「本書」は「現場」を実際に「訪ねて」の「著者の実体験や独自取材を中心に、現実に起きた怪奇な現象をできるだけありのままに再現した」もので、「怪奇現象の背景」にある「陰惨な事件や悲惨な事故の記憶」を掘り起こすべく「必要に応じて報道記事など」も「参照し」ている。この辺り、松本清張が事件の謎解きではなく「動機」に拘ったのと同じく、小池氏も何故そこで怪異が発生するのか、に拘っている訳だ。
 本当に出るのかどうかはともかくとして、何かがあったからそこにそういう話が発生するのであり、そして何かがあった場所というのも、そんなに少なくはないのである。踏切があれば人身事故の1つや2つ、あったろうし、緩いカーブの下り坂があれば追突事故が起ころうというものだ。年間3万人自殺者がいて、他にも殺人事件や事故死者もいる。病気になって運命を呪って死んだ者もいよう。学校の怪談みたいな、そんなに校内で人、死んでないだろう、というところにしても、こんな話が何故発生し、定着したのか、なんどと考えてみると、切りがない。
 ホラー小説や映画など、なんでそんな怪異が発生したのか説明がないものの方が怖い、という意見がある。説明されるとありきたりのオチが付いただけで興醒めするというのであろう。しかし、ここでこんな奇怪なことが起こった、なんて話が広まっているのは何故なのか、説明を欲するのが普通の人情だから、興醒めしようが説明になってないただの憶測だろうが、この「何故」の部分がないと怪談は完結しないのである。その部分をくっつけずに置いた方が「怖い」のかも知れないけれども、それは怠慢のように思える。誰しもが持っているはずの好奇心を失くした人のようで、考えようによってはその方が怖い。
 「まえがき」の最後を「それでは、よい旅を。」の1行で締めくくっており、実際に現場を訪ねるためのガイドとしての作りにもなっている。しかし幽霊屋敷やアパート・マンションなど「現場の名称については、匿名とせざるを得なかったものも多い」。これは当然である。それから「登場する人物の名前についても、数名を除いては仮名もしくは匿名とした」ことが断ってある。
 2〜5頁目次、縦組み2段組で丸ゴシック体で列挙される。1つめを例に挙げると「花子さんどころではない!オカルト中学校の亡霊騒動(穴場)…6」とある。(穴場)はあまり知られていないスポットで、他に(名所)(準名所)そして存在しない(旧名所)に分類されている。1項目ごとに見開き2頁で、カバー表紙折返しにあるように90箇所が紹介されている。(以下続稿)