瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(43)

・三木孝祐『幽霊がいる場所、教えます。』(4)
 一昨日からの続き。

《七》という数の一致に島民たちは戦慄した。「殺された坊主が七人、死んだ作業員が七人。/七という数は決して偶然ではない。これは祟りだ。七人坊主の祟りは、まだ残っているのだ」
 と騒ぎ出す者もいて、島民たちは《祟り》を強く否定できぬまま、時間だけが過ぎていった。/「時がすべてを解決する」と口をつぐみつづけてきた島民たちだったが、ふたたび、《七人坊主/惨殺咄》を思い起こされる事件が発生する。


 「八人」巻き込まれたのに「死んだ」のが「七人」というところがツボなのである。こうして恐らく初めは大した考えもなしに附加された尾鰭が、定着して行くのである。
 それにしても「騒ぎ出す者もいて」というのは、如何にもな表現で面白い。しかし「強く否定できぬまま」とまで云ってしまうと、余りにも現代的な視点で「島民」の心情を忖度し過ぎだろう。確かに小池氏に面会した教育長は不名誉な伝承と意識していたのではあるが。それから「口をつぐみつづけてきた島民」とあるが、島出身で八丈高等学校の教諭だった浅沼氏が昭和34年(1959)刊『流人の島』と昭和40年(1965)刊『八丈島の民話』で活字にしているのである。
 さて、「思い起こされる事件」とは、「平成七年(一九九五)、八丈島の火葬場で、七人の遺体が発見された」事件なのだが、今、手許に小池氏の本がないのだが、2011年10月13日付(01)で見たように小池氏の本には平成6年(1994)8月とあったはずである。「遺体のうちのひとり大きさからいって明らかに子供で」あったが、この「迷宮入りとなった」事件に「再び島民は恐れおののいた」。《七人坊主惨殺咄》との《七》の数の「共通性に不吉なものを感じたからだ」というのである。なお、この事件については、某動画サイトに、当時のワイドショーの「八丈島夏のミステリー/密室の火葬場から謎の人骨7体!! 」というコーナーが挙がっていた。
 そして、最後を次のように締めくくっている。

 火葬場の近くで子供を含む七人の黒い影が立っているのが何度も目撃されている。もちろん【以上85頁】幽霊である。作業員が生き埋めにあった林道付近でも、複数の男たちが含み笑うような、不気/味な声がきこえる、という。江戸時代に殺された《七人の坊主》は未来永劫、永久に八丈島を/祟りつづけるのかもしれない。*1


 人骨の方に幽霊の話があるのは小池氏は何も書いていなかったと思う。私も今のところ他では見ていない(と思う)。林道は通っている小池氏だが「不気味な声」の話には注意していなかった。2011年11月28日付(25)で見たように、浅沼氏は『流人の島』に読経(念仏)の声が聞こえたことを書いているが、これは昭和27年(1952)の事故以前の話である。そんな訳で出典を確認出来ていないが、ここに注意して置くこととする。「江戸時代に」は3回目。

*1:ルビ「みらいえいごう・とわ」。