瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中勘助『銀の匙』の文庫本(6)

 常に鼻が片方詰まっている。今月に入ってから喉も痛くなって来た。そればかりではない。先月の半ばから、右の手首が痛くなって来た。右手を庇って左で重い物を持っているうちに、左の肋骨が痛くなって来た。肋骨は痛い。咳払いをしても響く。くしゃみも出る。拷問である。あまり噂になるような人間でなくて良かった。もちろん信じてないです、噂されたら嚔が出るなんて。で、今痛いところは全て古傷だと思い出した。
 右手首は、十余年前、雨の日の、今はなき(まだあるか?)■■駅で滑って打ったのだった。そのまま登校して、帰って来てもまだ痛いので、当時住んでいた場所の近所に日本代表■田選手の色紙が飾ってある整形外科があって(まだあるか?)そこで診てもらってレントゲン撮影したら、はっきり分からないがひびが入っているのかも知れない、と言う。それでギプスを付けて固定したのだった。思えば、あのときまでは私も初め井戸水、転居後は風呂水を汲み出して庭に撒いたりして、上半身にそこそこ肉があったのだが、あれで使えなくなってしまって一挙に肉が落ちたのだった*1。何週間かギプスを付けて、もう良いだろうと言うので割ってレントゲン撮影したところ、ひびではなかったようだ、と言われた。骨にひびが入っていたのなら、その治癒した部分が白く写るはずだが白くなってない、と言われた。大袈裟に言えば誤診ということになるのだろうが、今更仕方がないのでどうもしなかった。でも今、そこが痛んでいるような気がするのだ。
 肋骨の方は実家を出た後の十年近く前に、炬燵で横になって転がっていて、ぴきっと来た。折れたとかではなく、やはりひびだったように思う。また別の整形外科でレントゲン撮影されたのだが、結局消炎鎮痛の内服薬と冷感湿布をもらっただけだったので、病院には行かずに近所の薬局で買って来て貼っている。こうしてただでさえ貧弱なのに、輪を掛けて貧弱になろうとしている。脚だけは、膝がたまに痛いくらいで済んでいる。しかし、手首なら響かないが、肋骨には階段が1段1段響くので、いよいよ大人しくしているしかない。
 万事、することなすこと遅れ勝ちで、寝るのも遅くなる。朝はきっちり起きる。睡眠不足である。花粉症で朦朧としている上に、睡眠不足で、昼間寝たらいよいよ夜寝られなくなった。痰が絡んでいる。咳払いをする。肋骨に響く。しかし咳払いしないことには喉が詰まってしまう。

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・角川文庫7496(5)
 本体、1頁(頁付なし)扉、単郭で初版は11.6×7.5cm、十三版は11.6×7.6cm、二十九版は11.7×7.6cm。初版・十三版は羽を銜え翼と脚を広げた鳳凰、二十九版は両脚を揃えた鳳凰。子持枠の大きさ(4.5×4.9cm)は同じ。標題に振仮名「さじ」。
 初版・十一版・十三版・十六版は201頁だが、二十九版は203頁である。3頁「目次」を見るに十八版・二十九版には「あらすじ   中村 明 四」が挿入され、以下頁がズレているのである。「あらすじ」のない諸版は「目次」の裏は白紙で、5頁が「前 篇」の扉、裏の6頁から本文。1頁16行、1行42字。「あらすじ」は頁付なし、4頁1行め「中 勘助『銀の匙――あらすじ」下部に「中村 明」とある。上下に横線があり、1行40字、4頁の残りに15行、5頁は目一杯で17行。
 この「あらすじ」は、2012年4月4日付「夏目漱石『坊っちゃん』の文庫本(07)」で見た角川文庫13390『坊っちゃん』及び角川文庫13391『こゝろ』の、それぞれ改版初版(平成十六年五月二十五日)にもあった。してみると、なか見!検索で示されるのが十八版であるのも理由のないことではなく、本書の「あらすじ」増補は、平成16年(2004)5月20日の十八版で行われたものだったのである。(以下続稿)
5月19日追記】投稿当初(7)にしていたが、予定していた(2)をまだ投稿していなかったことに気付いたため、1つずらしてこれを(6)に改めた。

*1:よく考えたらこの整形外科は井戸のある家の近所だった。そうすると、同じ路線だけれどもわざわざ電車に(定期があるにしても)乗って通院したことになる。それとも、やはり井戸のある家に住んでいた頃のことで、その後回復して、風呂水を撒いていたのか。記憶が曖昧である。