瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張「西郷札」(3)

 後半の主要人物塚村圭太郎については、もう少し調べてから続きを挙げようと思っていたのだが、ここで4月7日付(2)の初めに触れた、主人公樋村雄吾の年齢の齟齬について、昨日来、他の本を見てみたので、それを先に取り上げて置く。
松本清張全集35
『ある「小倉日記」伝 短篇1』1972年7月20日第1刷・1985年8月30日第5刷・定価1800円・文藝春秋・536頁
 発表順に28篇を収録、処女作の「西郷札」はもちろん巻頭(5〜34頁)、5頁は扉で7頁から本文、2段組。
 問題の「四」章の冒頭は次のようになっている。14頁上段16〜19行め、

 東京に出た雄吾はしばらく何をする気力もなく、毎日を/怠惰に暮した。
 明治十一年の東京はこの二十二歳の若者をもっとも刺戟/するものがあった筈である。……


 4月6日付(1)で確認した設定に従えば、光文社版の「二十三歳」は単純な間違いのはずだから、このように「二十二歳」と訂正するのが良い。――少し前の私は、そのように主張していたと思う。
 けれども、これはそう単純に処理してしまって良いとも言い難いのである。
 後半では、消息不明になっていた義妹季乃と再会するのだが、その年齢が、当初の設定のままだと若過ぎるように感じるのだ。いや、違いは1歳である。しかし、この年頃の女性は、この1歳の違いが大きい。
 何故こんなことをいうのかというと、松本氏本人が、後半は樋村雄吾「二十三歳」から二十四歳、五つ違いの季乃は十八歳から十九歳、というつもりで書いているのではないか、との可能性を抱くからである。数えで十九歳であれば満17〜18歳、これが当初の設定通り、樋村雄吾が明治11年(1878)に「二十二歳」とすると、季乃は十七歳で満15〜16歳、翌年が十八歳で満16〜17歳、ということになる。微妙な違いだけれども、一応考えてみるだけのことはあると思うのである。
 古典の研究をしていると、いや、……近代でもやっていると思うが、作品研究の準備作業として諸本調査といって、写本や版本を出来るだけ集めて、その本文を比較検討する。自筆本や初版など、原初の形に近いものが価値あるものと認められる。著者の没後に出版社の編集者が表記替えしたものは、宜しくない*1。著者の生前に出たものは編集者が表記替えをしていても一応、著者本人が見ているはずだから、そう軽くは扱えない。著者が自分で手を加えている場合は、その生前の最終的な形が尊重されるべきだろう。尤も、初版の方が良かったと云われることも多いのだけれども。
 この「二十三歳」の場合も、一応他の本がどうなっているかを確認して、もちろん原稿が一番確かなのだろうけれども、初出誌や単行本なども当たって、あっさり「二十二歳」と直してしまって良いものか、考えてみたいのである。松本氏の場合、既に「装飾評伝」について確認した*2ように、短篇の内部で、前半の設定を忘れている、ということがあった。だから、後半は「二十三歳」のつもりで書いている、その可能性を考えてみたい。――結局、光文社版のみの間違いで、誤植と判断すべきという結論に到達するだけかも知れないのだけれども。(以下続稿)

*1:それで行くと、同じ光文社版でも文庫やカッパノベルスの3版ではなく、カッパノベルスの初版を採用すべきだったんだけれども。

*2:2012年9月16日付「松本清張「装飾評伝」(3)」及び2012年9月18日付「松本清張「装飾評伝」(5)」。