・小池壮彦『異界の扉 怪奇探偵の幽霊白書』2004年9月25日第1刷発行・定価1,200円・学習研究社・220頁・四六判並製本
- 作者: 小池壮彦
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2004/09/15
- メディア: 単行本
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さて、その名も「御所トンネル」という節は121〜125頁、すなわち第二章に収録されている。
まず121頁2〜6行め、JR中央線の飛び込み自殺多発の話をマクラにして、5〜6行め「火の玉が飛ぶという踏切もある。/幽霊を見たという話もちらほらある。」というのだが、本書刊行当時進行中だった高架化工事の完成により、小池氏がかつて取材した西五条踏切はなくなった。
それはともかく、7行めから122頁1行めまでを引いてみる。
だが自殺の話とは別口で、中央線には伝説の心霊スポットがある。
四谷―信濃町間のトンネル。
現在の路線は複々線で、トンネルが四つある。
その中にひとつ、各駅電車が通過する赤レンガのトンネルがある。
明治時代に掘られた中央線最古のトンネルで、年寄りは「四谷のトンネル」と呼ぶ。
正式名称は「御所トンネル」。
今は新トンネルがあるので、「旧御所トンネル」とも呼ぶ。
中央線快速の上下線と中央緩行線の上りが通過する新トンネルは「新御所トンネル」で、中央緩行線下りには「旧御所トンネル」との白のプレートが、入口の左にある。続き、2〜6行めを引いてみる。
かつて幽霊が出ることで有名だった。
その昔、年寄りがよく口にしていた怪談がある。
「電車が四谷のトンネルに入ったときに、窓の外を眺めると、暗がりにぼんやりと人の顔/が浮かぶんだよ。あっと思うと消える。青ざめた男の顔が……」
ふたつ三つ、浮くという。
そしてトンネルの位置と歴史を簡単に述べた上で、122頁14〜15行め、
このトンネルに幽霊の噂が発生したのはいつごろだったか?
少なくとも昭和の初めごろには、怪談が語られていた。
として、123頁1〜8行め、木村荘八(1893.8.21〜1958.11.18)が直接聞いたという泉鏡花(1873.11.4〜1939.9.7)の「不思議な体験」を紹介する。尤も小池氏は123頁9行め「不思議な小説を書く人の話であるから、本当かどうか問うのは無意味だろう。」或いは124頁4行め「わけのわからない幻覚」という扱いである*1。
では、124頁2行め「怪談を生んだ原因」は何かというに、現在の迎賓館、もとの123頁11行め「東宮御所の下を通っている」という13行め「わだかまり」或いは124頁1行め「無意識のうちに共有されたうしろめたさ」がその理由の2行め「ひとつ」と指摘しつつ、3行め「それだけでは幽霊の噂は、ことさら真実味を発揮しない。」すなわち5行め「具体的かつ世俗的な事実がないと、怪談は力を持たない。」として、6〜11行め、以下のような話を紹介する。
このトンネルでは、戦前に駅員が事故死している。
線路の点検中に電車に轢かれて殉職したのだが、この事実が人々の記憶に重くのしかか/り、以後、トンネル内を歩く彼の幽霊が目撃された。
この話は鉄道関係者の間でひそかに語りつがれたらしい。
死んでからも職務に忠実な駅員が、夜な夜なカンテラを下げてあらわれる。
こうした怪談を昔の人は哀悼の念をこめて大事に語りついだ。
しかしながら「このトンネル」で「駅員が事故死」した、というのは誤りなのである。
詳しくは次回述べることにして、この節を最後まで見て置こう。1行空けて124頁12行め「先日、私はこのトンネルを訪ねる機会があった。」として、ここでこの話をこの章に収録することにした理由である、自身の体験談を語る。13行め〜125頁1行め、
ある青年に、こんな質問をされたのである。
「中央線の四谷のトンネルって、昔何かあったんですか?」
窓の外の暗闇を見ていたら、えもいわれぬ寒気を覚えたという。
そこで現場を訪ねて、しばらく身体に変調を来したというのである。(以下続稿)
*1:これについては典拠に当たることが出来たら改めて検討することにする。