瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』(10)

 昨日の続きで、第十話「侑子」に関連して『四谷怪談』に載る、恐らく同じ話の、確認の続き。
 このユウコの友人の自殺について小池氏は、ユウコに会ったとき、160頁16行め「何か語りづらい事情」があるらしく、それで161頁5〜6行め「屈託のなさ」を「わざとらし」く示しつつ、「幽霊/を見たという話を半ば冗談のように語」っていたのも、7行め「友人の自殺」という「隠しごと」があったからなのか、ということを匂わせる。161頁1行め、ユウコの死後に会った知人に「このことをあなたは優子から聞いたか?」と尋ねられ、首を振ると2行め、知人が「なぜか薄ら笑いを浮かべていたのを覚えている」という箇所でその、小池氏に会ったとき、ユウコの友人は既に自殺していた、という可能性が補強されている。
 この友人の自殺について初めて知らされた小池氏はそこで、知人に尋ねる。162頁3〜4行め

 友達の死に方は異様である。自殺なのはまちがいないというが、あえてそんな死にざまを選/ぶ意志は何なのだろうと問うと、「実はこのことを知る人は少ないのだ」と宮田氏は言った。/‥‥


 敢えて解釈すると、161頁14行め、「自分の顔でなくなった」顔を焼き崩すことで得られる安堵感が、顔を焼く苦痛を上回るものであった、ということになろうか。それほど強い恐怖と居たたまれない感じを、変貌した「自分の顔」から与えられ続けた挙句の、行動ということになるのだろう。

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 私はこの自殺の件を読んだとき、あまり驚かなかった。既に類例を知っていたからである。

 2月21日付3月23日付で触れた、別冊宝島415「現代怪奇解体新書」(一九九八年十一月三十日発行・定価857円・宝島社・256頁)90〜100頁に「【怪奇調査ファイル⑥】廃墟探訪記【怨念編】」として掲載される、中田薫 文/関根虎洸 撮影「日本中の廃墟を巡った男が出会った恐怖」に、同様の自殺の記述があったのである。(以下続稿)