瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

七人坊主(46)

 8月7日付(45)の続きで、東京伝説の会編『東京の伝説』の「八丈島の七人の坊さま」について見て行くつもりだったが、比較検討の材料とするべき浅沼良次『八丈島の民話』の「七人の坊さん」の、坊さんたちが死に至るまでの前段について、2011年10月19日付(06)にごく一部引用したのみであったことに気が付いた。
 そこで、まだ引用していないところをここに抜き出して、提示して置きたい。ちなみに後段、祟りについて語った箇所は2011年10月18日付(05)に引用して置いた。

 むかしの話でおじゃる。
 上方から潮流のため、小舟に乗った七人の坊さんが、平根が浦に流れつきました。


 これが冒頭、113頁2〜3行め。漂着説である。なお、浅沼氏は2011年11月26日付(23)に引いた『流人の島』では流罪説を採っている。
 次の113頁4〜6行めの1段落は既に引用した「コミノ川」の由来譚。
 そして、113頁の残りの部分、

 「この島は何んと申す島でおじゃろう?」
と一人の坊さんがいいました。
 「この島はクニ*1から遠くはなれている孤島でおじゃるから、世にいう鳥も通わぬ八丈島でおじゃろ/う」
ともう一人の坊さんがいいました。
 「八丈島と申すと、情けにあつい島とうわさに聞いておじゃる。これから家をさがして助けてもら/うことにしやろう」
とほかの坊さんがいいました。
 「それがよくおじゃる、それがよくおじゃる」

という会話が交わされたことになっている。
 八丈島だろうと見当を付け、さらに八丈島がどんな島か知っている坊さんまでいたことになっているのであるが、この、「情けにあつい島」という期待をまず抱いたことが、祟りの伏線になっているのである。

と皆が賛成して、道もない山を登りはじめました。ところが七人の坊さんは、もう何日間か食事をし/ていないので、空腹のため一歩も動けなくなってしまいました。
 「なにか腹に入れなければ、とても歩けない、なんとかなりもうさぬか」
と皆が話しあっておりますと、そのとき頭の上の木の枝に、バサバサと羽音をたてて数羽の鳥がとま/りました。坊さんの一人がこの鳥にむかって、
 「エイッ……エイッ……」
と鋭い気合いをかけますと、鳥はバサリバサリと音をたてて地面に落ちてきました。
 坊さんたちはこの鳥をひろって、羽をむしり、生のままムシャ、ムシャと食べました。


 114頁1〜8行め。山に登ってきた坊さんたちが鳥をどうかした、という話は、他に2011年11月20日付(19)に引いたものがあるのみで、こちらは「ロッパガオバタ」という地名の由来譚になっているのだが、『八丈島の民話』では地名と関連づけられていないことも、既に指摘して置いた。(以下続稿)

*1:右傍に「(本土)」と注記。