瑣事加減

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太宰治『走れメロス』の文庫本(09)

岩波文庫31-090-1(1)
富嶽百景走れメロス 他八篇
①昭和三二年五月六日第一刷発行(234頁)
・昭和四二年七月三〇日第一四刷発行 定価★★
②1968年5月16日第14刷改版発行(238頁)
・1977年2月20日第22刷発行 ¥200 *1

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

・1983年5月25日第30刷発行 定価200円
・1988年5月16日第37刷発行 定価250円
・1989年5月15日第39刷発行 定価252円*2
・1994年7月5日第50刷発行 定価350円
③1999年1月20日第55刷改版発行(254頁)
・2001年5月7日第57刷発行 定価460円
・2004年2月5日第59刷発行 定価460円
・2008年4月15日第64刷発行 定価500円*3
・2011年8月4日第68刷発行 定価540円*4
・2013年1月15日第69刷発行 定価540円*5
 私が太宰を読んだのは、父の本棚にあった本字歴史的仮名遣いの本書①第一四刷がその最初であった。――火山の噴火に興味を持ったことがきっかけで小学4年生頃に、句読点と返り点しか附されていない『三代実録』で漢文の訓読を身に付け、それから江戸時代の地方文書なども読んでいた。十分理解出来たとは思えないが、何となく。それで小学生だてらに妙に原典尊重主義者みたいになってしまい、その後引越しに際して火山について纏めていたノートを紛失したことで興味が移った昔話でも、初めは再話もので満足していたのが、直に戦後の改版・再録では満足出来なくなり、戦前の昔話集を読んだのである*6。別に初出に拘る理由はないのだけれども。子供は妙なところに拘るものである。分別があってしていることではないから。それはともかくとして、本字にはそんな訳で慣れていたし、とにかく分からない言葉は辞書を引く習慣が付いていたから、別に何の苦労もなくすらすら、非常に面白く読んだのだが、何だか面白過ぎて、中毒のようになるという話も聞いていたし、そこで自制が働いてそれ以上読まないようにした。
 いや、新字現代仮名遣いで読まなかったから、この1冊だけでも太宰を読めたのだという気がしている。今となっては恥しさもむず痒さも感じなくなって、どうでも良くなったが、当時は本当に恥しくて、何だかそのままではいられなくて、とてもではないが読み通せなかったろう。古い表記の本だからそういうものをダイレクトに感じずに済んだのだと思うのである。
 中学だったか高校だったか、たぶん中学の「走れメロス」ではなくて、高校で「富嶽百景」を授業で読まされる前に、父の書棚に見付けて読んだのである。それで、ちょっと余裕をカマして授業に臨んでいたのだが、いや、当時の現代文の教師のことなんか馬鹿にしていたから読んでいなくても余裕だったろうが、当時の同級生で、特に親しくもなかった、ちょっと伊勢谷友介に似ていた(と今にして思う)、余計なことばっかり言って損をしている私と違ってそんなことを言わないイケメンと、何故だか知らないがちょうど授業で済ませたばかりの「富嶽百景」の、教科書が省いたところについて、あそこが良いのにな、と話したことがあって、確か放課後だったような気がするのだが、別に、他に何の思い出もないのに、それだけは、覚えているのである。
 さて、私の見た第30刷以降の②の諸刷の奥付には、まず「1957年5月6日第1刷発行」とあって次に「1968年5月16日第14刷改版発行」とあるのだが、父の書棚にあった①は「昭和四二年七月三〇日第一四刷発行」なのである。すなわち昭和42年(1967)7月の①第14刷と昭和43年(1968)5月の②第14刷改版と、第14刷が2つ存することになってしまう。
 差当り可能性を考えて見るに、①の刷次の勘定を間違えていたのを②改版時にリセットしたか、①第14刷を忘れてダブらせてしまったのかのどちらかだろう。これなどもたまたま①第14刷を見たから気付いたので、②のみ、或いは①第13刷までしか見ていなかったら気付かなかった。別に気付いたからどうする訳でもないが。とにかく、データから多分こうだろう、との推測はどこまでも見当に過ぎない。データが間違っていることがあるので、やはり現物を見て確認しないことには、何とも言えないのである。(以下続稿)

*1:2016年11月1日追加。

*2:2017年11月26日追加。

*3:2019年1月28日追加。

*4:11月9日追加。

*5:11月9日追加。

*6:昔話のことは2011年5月7日付「柳田國男『遠野物語』(1)」に書いた。火山の本は本字ではなく新字だった。