瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小池壮彦『心霊写真』(5)

 8月12日付(3)に、文庫版「●参考資料④年表」の増補は「『呪いの心霊ビデオ』に取り組んだ成果であろう」と述べた。ここで6月20日付「小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』(6)」に書影を貼った『呪いの心霊ビデオ』を見るに、大体はこの見当で合っているようだが、文庫版「●参考資料①ビデオリスト」に1点だけ増補された『妖女伝説'88』は、『呪いの心霊ビデオ』には紹介されていない(らしい)。
田中登監督『妖女伝説'88』昭和63年(1988)9月23日公開(ロッポニカ)

妖女伝説’88 [VHS]

妖女伝説’88 [VHS]

【映画チラシ】妖女伝説'88 田中登 沖直美

【映画チラシ】妖女伝説'88 田中登 沖直美

 公開当時、私は全く映画を見ない貧乏高校生だった。今回初めて某動画サイトで見た。地方の高校生の認識している昭和末年と、ここに描かれている都会の大学やゲーム業界の情景とは、違っている。少し分かるところもあるが、当時のコンピュータや昭和末年風俗の解説を入れてもらわないと、十分理解出来そうにない。DVD化はされないと思うけれども、もしされることがあれば副音声として、登場人物たちは何のためにこんなことをしているのか、十分理解出来なくても良いから何となく分からせてくれるような音声コメントが欲しい。いや、副音声こそ付かないか。
 この映画については8月11日付(2)で見たように、文庫版の「●参考資料④年表」の昭和63年(1988)条にごく簡単なコメントがあるのみだったが、次の本に収録されている小池氏の論考に具体的な言及があった。
一柳廣孝編著『心霊写真は語る[写真叢書]2004年8月20日第1刷・定価2000円・青弓社・253頁・四六判上製本
心霊写真は語る (写真叢書)

心霊写真は語る (写真叢書)

 通読していないので、小池壮彦第8章■「眉唾写真」の魅力――霊と宇宙人 ■」の、この作品についての記述を抜くだけにして置く。239〜253頁のうち251〜253頁「3 IT時代の心霊写真――ネット上に幽霊は“実在”できるか」のうち、252頁4〜13行め。

 幽霊が明瞭に写る写真が増えた今日の状況は、戦前への回帰といえなくもない。とすれば、また/それが飽きられるときもくるのだろうが、とにかく今日の幽霊はレタッチソフトの大衆化によって/延命させられている。そして心霊写真は紙の媒体よりも、ビデオやパソコンの画面で見る機会が増/えた。そうなると心霊写真ははたして“写真”である必要があるのかという疑問も出てくる。実際、/将来的に幽霊は写真に写るというプロセスをはしょって、パソコンの画面に直接あらわれるのでは/ないか(そういう発想が突出するのではないか)という予測は一九八〇年代からあった。例えば『妖/女伝説'88』田中登監督、にっかつ製作)という映画にその発想が生かされていた。この作品はタイ/トルのとおり一九八八年に公開された。内容は一口にいえば、現代版の『牡丹燈籠』である。幽霊/がパソコン通信接触してくる点が斬新で、いま思えば十年ほど時代を先取りしていた作品といえ/る。


 ちなみに240〜244頁「1 UFO写真vs心霊――“眉唾写真”の王座をめぐって」、245〜250頁「2 幽霊へのまなざし――“鏡”から“写真”へ」で、うち250頁右上「写真6 記念写真におぼろげな顔が…… (出典:「大/阪毎日新聞1921年7月6日付)」は文庫版91頁、251頁上「写真7 背景の樹木に顔が……。今日的心霊写真の草分けである (出典:「報知新/聞」1936年12月19日付)」は文庫版110頁と同じもので、写真6の方は文字もはっきり読める。
 最後、253頁13〜15行め「[参考文献]」に続いて16〜17行めに以下のような附記がある。

付記:本稿は「木野評論」第三十五号(青幻舎、二〇〇四年)に「『眉唾写真』の魅力――霊と宇宙人」/として発表した現行に加筆修正したものである。


 「木野評論」は8月11日付(2)で見たように、文庫版の「●参考資料③文献リスト」に追加されていた。「木野評論」HPにて第35号の細目を見ることが出来る。(以下続稿)