瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

三角屋敷(1)

 私はホラー作家の書くものには興味がない。作家なのだから基本、小説を書いているので、実際にあったことに基づいて書いているにしても、どこまで本当のことを書いているか、分からないからである。
 風土や歴史などの背景に立脚して話が立ち上がってくる点に私の場合、興味があるので、そうでなければ似たような噂が其処此処で語られていることに興味があるので、そこに妄想や過剰な文飾が加えられたら、そういうことの検討自体が困難になる。そこを敢えてやると、実は賢しらで追加されたところを本来の要素と見誤ることが避けられないから、見当外れになってしまうであろう。
 だから、具体的な地名などを伏せている怪談実話本などは、読まない。読んでもどうしても人に付く怪談ではなくて、土地に付く怪談として読んでしまう。場所や時代を整理しながら読む。人に付く怪談は、その人の個性の問題が大きい。1話だけ読んだのではその人がどんな人物なんだかはっきりイメージ出来ないし、かと言って複数の怪奇体験談などを聞かされ(読まされ)た日には、私などとは違う波長で生きている人だと思って、引くしかない。正直、ドン引きだ。そういえばそういう人たちはただの困った人たちなのだと断定(!)した『霊感少女論』の著者、近藤雅樹が死去した*1。近藤氏が『霊感少女論』に採用しなかった怪談レポートはどうなるのだろう。収録されたものの数倍はあると思うのだが、既に処分されてしまったのだろうか。
 それで、今更「三角屋敷」なのだが、当然のことながら、全く知らなかった。「東海道四谷怪談」ではない。それから「屋敷」と云っているけれども、マンションなのである。現地に行って検証しようとか、思っていない。では何故取り上げるのかというと、次の本の書き方が気になったからである。
東雅夫 編『怪しき我が家 家の怪談競作集(MF文庫ダ・ヴィンチ二〇一一年月二五日初版第一刷発行・定価552円・メディアファクトリー・244頁

怪しき我が家 家の怪談競作集 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

怪しき我が家 家の怪談競作集 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

 1頁扉、3頁中扉、5頁目次、7頁皆川博子「釘屋敷/水屋敷」の扉、8頁中央下部に皆川氏の略伝、9頁から本文で頁付がある。1頁16行、1行41字。18頁まで。以下も同様。作品名と頁を示して置く。福澤徹三「家が死んどる」19〜34頁、黒 史郎「押入れヒラヒラ」35〜60頁、田辺青蛙「我が家の人形」61〜85頁、雀野日名子「母とクロチョロ」87〜109頁、朱雀門 出「ちらかしさん」111〜128頁、神狛しず「悪霊の家」129〜148頁、宇佐美まこと「犬嫌い」149〜172頁、金子みづは「葦の原」173〜203頁、南條竹則「浅草の家」205〜221頁、東 雅夫「凶宅奇聞」223〜244頁。頁付があるのはここまでで、1頁白紙、その裏、下部中央に縦組みで小さく、

本書収録作のうち、「押入れヒラヒラ」、「犬嫌い」、「母/とクロチョロ」は『幽』第十号(二〇〇九年一二月発/行)の第三特集「怪しき我が家」掲載作、「葦の原」は/第四回『幽』怪談文学賞佳作入選作で、それぞれ加筆・/訂正を加えています。その他の作品はすべて書き下ろ/しです。

とあるが、同趣旨のことは東氏の文の最後の節(244頁4〜11行め)、編者として企画につき説明したうちに「加筆・訂正」には触れていないが述べてあった(6〜9行め)。
 奥付の次の見開きは「幽 文庫通信」vol.018(2011年2月)で須藤幹夫「気配の場所」で2段組、次の1頁は「投稿怪談/テーマ:家」の、まつぐ「うちの会話」3段組。もう1頁も同じテーマで小島モハ「蝸牛考」。次の4頁はMF文庫ダ・ヴィンチの広告で1頁に1点。一番最後の1頁は白紙。
 さて、本編最後の東氏の文は岡倉一雄『父岡倉天心』や平山蘆江「化物屋敷」、岡本綺堂「父の怪談」から、化物屋敷に著名人が住んだ例を引いて、その最後に現代の例に及んでいるのである。241頁2行めから引いて見る。

 平山蘆江も指摘していたように、仄暗いランプの時代から、煌々と輝く電燈に都会の闇が/駆逐される時代となり、凶宅騒ぎはめっきり減った……かのように見えるが、あながちそう/とばかりも云いきれない。
 一例を挙げれば、怪談実話ファンの間では夙*2に名高い、通称『三角屋敷』の怪談など、ま/さしく現代版の凶宅事件に他ならないと思うからだ。
 この話で特徴的なのは、それに関与した人々――当の屋敷ならぬマンションに居住してい/た霜島ケイ氏、その友人で新居を訪問したことがきっかけで事件に深入りする羽目になった/加門七海氏、そのまた友人で話を聞いて雑誌記事(『幻想文学』第四十八号「建築幻想文学/館」)や百物語企画(角川ホラー文庫『文藝百物語』)を組んだ不肖ワタクシ、同じく友人で/単行本の企画(角川ホラー文庫『怪談徒然草』)を立てた三津田信三氏(後に、その名も/『凶宅』と題する著作を公刊されたことは御存知のとおり)と、全員が文芸関係者であり、/おそらく後世から見れば、これも文藝怪談実話の一種として受容されてゆくだろうことだ。
 もうひとつ、たいそう驚かされたのは、具体的な地名などがいっさい伏せられていたにも/かかわらず、それを何とか特定しようとする動きが、インターネットの掲示板サイトなどを【241】中心に異様な盛り上がりをみせたことである。


 まだまだ続くのであるが、今回は242頁1行めまでで切って置く。――ここに挙がっている文献が、この「事件」の当事者たちが書いた基本文献(?)である。尤も、「単行本の企画(角川ホラー文庫『怪談徒然草』)を立てた」は、一応「単行本の企画(『怪談徒然草』、のち角川ホラー文庫)を立てた」とするべきだろう。「御存知のとおり」で通る読者を念頭に置いているにしても。……しかしそうすると『文藝百物語』にも単行本があるので、こちらも(『文藝百物語』、のち角川ホラー文庫)としないといけなくなる。(以下続稿)

*1:この辺りは8月18日に書いた。――国立民族学博物館HPの2013年8月8日付「訃報 本館教授 近藤雅樹」及び「スタッフの紹介/近藤雅樹[故人]」によると2013年8月3日死去。そのうちページ自体なくなると思われるのでリンクは貼らない。

*2:ルビ「つと」。