瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

三角屋敷(2)

 一応、9月22日付(1)の続き。

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 私は中学入学後に、同級生と聞いたばかりの「■中の七不思議」に語られている場所を訪ねて歩き、3人で肩を組みながら駆け上がると真ん中の人だけ数が違うという木造校舎の階段で、実際にやって見たこともあるのだが、それでどうだったか、覚えていない。どうもしなかったのだろう。第一、両脇はともかく真ん中は1段くらい踏まずに上がっちゃうだろう。――高校のときには、道路の真ん中にあって撤去出来ない巨石とか、真夜中に手を振ると云われる銅像を昼間に見に行ったことはあるが、もちろん何ともなかった。高校から少し離れた山続きに山寺があって、その参道に怪異があるという話を部活の先輩と同級生の女子の2人から聞かされた。ここには夜、肝試しとかではなく何度か行ったことがあるが、別に何ともなかった*1
 今はすっかり物臭になってしまって、そんなところにわざわざ出掛けて行こうという気にならない。まぁ、児童生徒の当時住んでいたところは、父の仕事の都合で一時的にいるだけで、定住する場所ではないことは分かっていたから、離れるまでに少しでも多くを見て、記憶して置こうという気分があったのだと思う。今は、仮に今の仕事が続かなくても、何をするにせよここにいて求職するのが一番確率が高いから、今のうちになどという気持ちになりようがないのである。
 それに、私が一番愛着を感じる話柄は学校の怪談で、それは私の中学に「七不思議」があり、しかも当時、私の入学する直前の春休みから1年の年度末の春休みまで、4棟あった木造校舎の解体があって、今記録して置かないと分からなくなる、という危機感もあり、――だから常光氏のがさつな扱いに我慢がならないのだ*2が、それはともかく、学校では現役の生徒であっても肝試しに侵入する訳には行かないし、卒業生でも校内に自由に立ち入れない。自然、話の現場に行ってみようと云う発想をしなくなる。
 今はせめて、現役の生徒であった時代に自ら調査した、級友からの聞書きを掌中の珠として、いづれこのブログにもアップするつもりである。李徴の遺稿みたいなもので、殆ど知られることなく全くと云って良いくらい世に流布していないが、昭和の末年、学校の怪談ブーム以前の調査である点が貴重だと思っている。尤も、大した話はない。生徒の知っている話が――子供の発想の範囲内にある話が、そんなに怖い訳がないのである。第一、そこで過ごすのが耐えられないくらい怖い話などがあっては、安穏な学校生活が送れなくなるではないか。ホラー小説や映画にはそういう設定のものがありそうだな。とにかく、怪談好きで生徒に怖い話をレポートとして書かせてみたところ、大して怖くもない同じような話ばかりで拍子抜けした、という先生の話を人伝に聞いたが、そんなの当り前である。むしろ、そのことをこそ追究すべきなのだ。……それはともかく。
 それからそういう噂があって、一応咎められずに入れる場所の代表格は廃墟な訳だが、これについては7月17日付「中田薫『廃墟探訪』(3)」に書いた通りである。
 それはそうと、前回の引用の最後の段落で、東氏が「インターネットの掲示板サイトなどを中心」として場所を「特定しようとする動き」が「異様な盛り上がりをみせたこと」に「たいそう驚かされた」と云うのであるが、確かに新しい動きだったろう。尤も、私は当時2ちゃんねる等を全く見ていなかったので、それが当時どれだけネットの新しい可能性を感じさせるものだったのか、イメージ出来ない。少し遅れるが、松山ひろしの「現代奇談」は見ていて、論のようなところには付いていけなかった、というか、まともに見ていなかったが、あそこでのカシマさん追究と似たようなものだったのだろうか。
 ネット掲示板で情報交換しつつ答えを求める、という藝当は今の私にも出来そうにないが、しかし気持ちは分かる。3年前に100周年企画で東氏も関連本を執筆刊行していた『遠野物語』の序文にも、「斯る話を聞き斯る處を見て來て後之を人に語りたがらざる者果してありや。」とあるではないか。こんな話を読んで、こんな場所があると知って、その場所を確かめてみたくなるのは普通にある好奇心である。佐々木喜善からの聞書を終えた柳田國男を始め、折口信夫桑原武夫も特に何かを調査するでもなく遠野に来ている。もちろんこれら学究と比べてネット掲示板の連中は「其志や既に陋……窃に以て之と鄰を比するを恥と」すべき類なのかも知れないが、志の違いでしかないだろう。いや、そこの違いが大問題なのかも知れないが。(以下続稿)

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 書き上げた直後に、敬体に書き改めたいような気がしてきたのだが、そのままにして置いた。

*1:2018年6月23日追記】山寺の参道の怪異については、2018年3月11日付「山岳部の思ひ出(8)」にも触れた。

*2:反対に「思入れたっぷり」と揶揄されても文句も言えないのだけれども。