瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(2)

 朝倉氏の「赤いマント」に関連する論考の比較を、もう少し続けてみる。Wikipedia「赤マント」項を見ても分かるが、この朝倉氏説は、ネット上では「赤いマント」の「成立」の時期や社会史的淵源についての、有力な説明と見なされているようだ。

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・84頁1〜4行めの引用箇所、冒頭「 (事件勃発の=引用者)翌朝、‥‥」 別冊宝島スペシャル240頁9〜12行めは「「(事件勃発の)翌朝、‥‥」。
・84頁7〜11行めの引用箇所、別冊宝島スペシャル240頁16行め〜241頁3行め。
・84頁12行め〜85頁2行めの引用箇所、末尾に「(高橋正衛『二・二六事件』中公新書、一九六五年)」とある。別冊宝島スペシャル241頁4〜8行めの引用の末尾には「(高橋正衛『二・二六/事件――「昭和維新」の思想と行動――』)」とある。
・85頁5〜7行めの引用箇所、別冊宝島スペシャル241頁11〜13行め。
・85頁8〜9行めの引用箇所、別冊宝島スペシャル241頁14〜15行め。
・85頁11〜12行めの引用箇所、別冊宝島スペシャル241頁17行め〜242頁1行め。
・86頁9行め この段落の前に別冊宝島スペシャル242頁10行め「九〇年代に噴出した血」。
・86頁11行め「 澤地久枝『妻たちの二・二六事件(中央公論社、一九七二年)」 別冊宝島スペシャル242頁13行め「 澤地久枝『妻たちの二・二六事件』」。
・86頁13〜16行めの引用箇所、13行めに「彼ら青年将校=引用者)も、」 別冊宝島スペシャル242頁15行め〜243頁2行めでは242頁15行め「彼ら(青年将校)も、」として末尾243頁2行めに「‥‥知っていた」(カッコ内引用者)」と附す。
・87頁15〜16行めの間、1行分空けてあるが、別冊宝島スペシャルではここに244頁2行め「畸形見世物のヒロイン」。
・90頁13行め この段落の前に別冊宝島スペシャル248頁4行め「「磯野家の悲劇」はなぜ笑えるか?」。なお別冊宝島スペシャル247頁は骨格標本と望遠鏡のある理科室の窓辺から杉木立の向こうの団地(恐らく5階建)を眺めた写真で左下に小さく「photo/小島義秀」とある。
・91頁6行め 別冊宝島スペシャルでもこの節に引用する「「残酷」替え歌」4種は、2字下げ前後1行空けにしているが、249頁1行め、「サザエさん」の替歌2つに挟まれた1行「 あるいは、」は、前が2行分空白、後は空けずに2つめの替歌の引用になっている。これは単なる編集ミスで『ヤクザ・風俗・都市』91頁6行めのこの行は前後に1行分ずつ空白(但し替え歌の引用も1行めは3字下げ)。
・93頁9行め この段落の前に別冊宝島スペシャル251頁6行め「人面魚からTBSのオウム報道へ」。
・93頁14行め「係わっていた。」 別冊宝島スペシャル251頁12行め「関わっていた。」
・95頁16行め この段落の前に別冊宝島スペシャル254頁1行め「「子どもは純真」神話への逆襲」。
・96頁10行め「 『現代民話考』の「学校」篇を」 別冊宝島スペシャル254頁14行め「『現代民話考』の「学校篇」を」。
 瑣事の確認で長たらしくなった。ざっと比べてみただけなので、細かい異同はもっとあるかも知れない。なお『ヤクザ・風俗・都市』は1頁18行、1行45字である。
 論文に纏める場合こんな作業はやっても論文の本文には書かない。注に、それとなくやってあることを匂わせるかどうか。いや、論文の準備だったら、突っ込み用に取った複写に、異同として記入して置くまでだ。――こういう確認作業をやっても公開しないのが勿体ないように思ったから、ブログにしたのである。しかしそうすると丁寧にやらないと行けないような気がして、一々書き出すからかなり骨が折れる。
 次回から本題に入る。もちろん、朝倉氏説の欠陥、というか問題点を、指摘しようと云うのである。尤も、骨子は出来ているのだが肉付けをするためにいくつか本を見ないといけないので、投稿はしばらく先になる。(以下続稿)