瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(07)

 昨日の続き、読者からの返答の2つめ(13頁19行め〜14頁7行め)、

牧野次郎様へ 赤マントは、すばらしい疾走力の持主であることが、大きな特徴だったと僕は記憶しま/す。この怪人は赤マントをひるがえしながら、オリンピックの選手よりも早く走る、神出鬼没に人をさ/らってゆく、というのが僕らの間の噂でした。昭和十一年のベルリン・オリンピックの次は、昭和十五/年に東京で開催と一旦は決まりながら、日中戦争の拡大のために返上したのだが、それでも五輪ムード/は残っていて、それがこんな噂にも反映したのだと思います。僕は横浜の山手小学校の二年生ぐらいで/したろう。学校の裏の竹藪にでるというので、一同で手をつないで探検にいったのを思いだします。な/お、口裂け女の場合も、百メートルを七・五秒で走るといわれました。快速力は、子供たちの怪人伝説/の一属性かと思われます。(葉山 鷹司由紀夫)


 昭和13年(1938)7月15日の東京オリンピック返上を絡めた回想になっていますが、この「鷹司由紀夫」とは誰のことでしょう。不勉強にて見当が付きません。それから横浜に「山手小学校」というのも見当たらないようです。
 さて、今のところ私にはこの「快速力」について検討するだけの用意がありません。というのは赤マントの「快速力」について、今のところ他に記述を見出していないのです。神出鬼没の怪人なんですから当然足が速かったろうとは思うのですが、そこがメインになった「噂」というのは、今のところこの「鷹司」氏のものだけです。前回も書きましたが小説に組み込まれて、原型が分からないものは「参考資料」にしかならないので、研究らしきことをするには、同様のことについて記述した資料が他にないことには、何ともしようがないのです。いえ、確実そうに見える資料にだって、10月24日付(3)で見た北川氏の証言のような、陥穽が存する訳です。そんな次第で、慌てて臆断を述べても仕方がないので、取り敢えず保留にして置きます。
 そして3つめ(14頁8〜20行め)、

牧野次郎様へ 赤マント事件に関しては、加太こうじ著『紙芝居昭和史』中に記述があります。立風書/房版で一五一〜一五二頁です。要約すれば、このデマの流布は昭和十五年一月から初夏にかけて。‥‥


 以下、10月25日付(4)に引用した部分を要領よく纏めて、最後に段落を改めて次のように締めくくっています。

 なお、昭和十五年当時、小生は芝浦の商業学校生徒でしたが、ごく漠然としか、この件の記憶があり/ません。もう小学生ではなかったからでしょう。ともあれ、これにて一件ほぼ落着と存じますが、如何。/(東京 遠山金次郎)


 この「遠山金次郎」は小沢氏の知人の誰かを仮名にして登場させたのではなくて、『紙芝居昭和史』を教えてくれる存在として仮に設定されただけのように見えます。いえ(作中の)投稿者自身が匿名希望「東京 遠山金次郎」で送ってきたことになっているので、「一件(ほぼ)落着」だから遠山金四郎みたいな名前なので、私は高橋英樹主演「遠山の金さん」を見ていて他の役者の「金さん」は知らないのですが、丁度「わたしの赤マント」が「文藝」に掲載された頃に放映されていたのですね。或いは影響を与えているのでしょうか。小沢氏がファンだったりして。ちなみに芝浦の商業学校は東京市立芝商業學校(現・東京都立芝商業高等学校)でしょう。一度だけ中に入ったことがあります。
 さて、当事者であるはずの加太氏の証言が正しいのであれば、体験は人それぞれとしても赤マントの由来については何の疑問も残らず「一件ほぼ落着」のはずで、この話はここで終わってしまいそうですが、以下、この小説では朝倉氏よりも説得力ある反論を加えて行くのです。(以下続稿)