瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(19)

 翌日の昭和14年(1939)2月20日(月曜日)になると、各紙がこの騒動を取り上げ始め「赤マント」という語も登場して来ます*1
 まずは、前回紹介した飛鳥山の一件について、他紙の記事を見て置きましょう。
 國民新聞昭和十四年二月二十日(月曜日)付、第一六九六九號(二)面、14段組の紙面のうち下5段分は広告、記事は9段あってその9段め、見出しは「デマの本據/飛鳥山の獲物」副題は下寄せで、文字のない左上と右下に直角の枠があります。段落の頭の▽は下を向いています。それから「“ ”」としましたが原文では「〃」と上下反転した「〃」です。

 …帝都を蔽ふ惡質デマ、佝僂/男の吸血鬼の噂から飛んだ副産物/の登場……瀧野川署では噂の本據/飛鳥山を持つだけにこの流言の取/締に躍起になつてゐるが、十八日/夜から十九日朝まで非番巡査を動/員してこの“見えざる敵”の警戒/に當らしたところ*2
 …管内盛り場、飲食店、喫茶/店等で時局柄不謹愼の男女卅七名/が網に掛つた、この中には當の吸/血鬼の出るといふ飛鳥山で樂んで/ゐたもの八組もあり、噂を利用す/るこの連中には署員も開いた口が/塞がらず*3
 …結局十九日朝親達を呼び出/して嚴重説諭の上釋放したが惡質/不良の十三名だけは取敢ず拘留處/分に附した*4


 昨日見た、「都新聞」19日夕刊の記事でははっきりしないのですが、18日(土曜日)の時点で飛鳥山が「佝僂男の吸血鬼の噂」の本拠とされていたようです。この記事では「帝都を蔽ふ」としていて、既にかなり広まっているように扱っているのですが、「都新聞」19日夕刊では瀧野川署管内の問題であるかのように取り扱っています。それは同じ20日付「都新聞」朝刊の記事によって次回にでも確認することにしましょう。なお、2月の「國民新聞」にはこの記事しか出ていないようです*5
 それにしても、大体吸血鬼なんている訳がないんだから、ただのデマであることは初めからはっきりしている訳で、平気で普段よりも人気のない飛鳥山での密会を存分に楽しもう、という連中も出て来る訳です。(以下続稿)

*1:11月12日追記】新聞記事に「赤マント」が登場するのは、現在までに確認出来た限りでは21日付でした。メモも文字が汚くて誤認しておりました。よって削除します。

*2:ルビ「ていと・あくしつ/きふけつき・うはさ・ふくさん/とう・たきの・しよ・うはさ・きよ/も・りう/やく/よ・あさ・ひばんじゆんさ・どう/ゐん・てき・けいかい/」。

*3:ルビ「くわん・さか・いん・てん・きつさ/てん・きよくからふきんしん/あみ・きふ/けつき/あみ・うはさ・よう/れん・しよゐん・あ/」。

*4:ルビ「きよく・あさおやたち・よ/げん・せつゆ・しやくはう・あくしつ/ふ・あへ・こうりうしよ/ふ」。

*5:昭和14年2月の後半を点検しました。