瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(21)

 昭和14年(1939)2月20日(月曜日)の新聞記事について、前回に引き続いて板橋の変態少年逮捕の報道を眺めて置きましょう。
 「中外商業新報」昭和十四年二月二十日(月曜日)(朝刊)第一萬九千七十九號*1(七頁)は「市内版」で「C」とあるのは版次でしょうか。「中外商業新報」は昭和17年(1942)11月1日に他紙を吸収合併して「日本産業経済」と改題、戦後「日本経済新聞」となりました。2月の「中外商業新報」にはこの記事しか出ていないようです*2
 14段組の紙面のうち下2段分は広告で、12段ある記事の12段めに見えています。見出しは明朝体で「若い女の/悲鳴が好き」1行めは2行め「悲鳴が」の右側にあって2行目がより大きな字で、特に「好き」は明朝体の太字です。その左、2行めの「鳴」の脇から「板橋を騒した/十七少年御用」と添えてあります。年齢の漢数字は小さく、2桁めが右寄せ、1桁めが左寄せ。

昨年暮以來板橋區板橋町氷川神社/附近で十數回に亘つて工場歸りの/女工さん襲撃?事件があり、いづ/れも悲鳴に驚いて逃走未遂に終つ/てゐるが最近この事件に結び付け/て「肺病患者が娘の生血を欲しが/つてゐるのだ」といふ途方もない/噂が流布され人々が恐れをなして/ゐる有樣に板橋署でこの噂の根源/を突 きとむべく 警戒中のところ/十八日午後七時半頃同區板橋町六/ノ三四二二女工佐藤靜枝さん(一九)/―假名―が前記神社附近の暗がり/で一名の男につきまとはれ悲鳴を/擧げてゐるのを同署刑事が發見取/押へ本署に連行取調べた處右は日/本窒素板橋工場の見習工、同區志/村清水町二六三鈴木滿一(一七)―假/名―で昨年暮からの犯行を自白し/たが、同人は若い女の悲鳴が何よ/り好きといふ病的精神の保持者で/同署でも取調べに手古摺つてゐる*3


 「都新聞」の記事では「午後一時半ごろ」となっていて、時刻が異なっていますがこれは「いちじ」と「しちじ」の聞き違いでしょう。昼間でも吃驚はするでしょうがやはりこの記事に「暗がり」とある通り「午後七時半頃」の方が正しいようです。被害者の年齢は同じですが少年の年齢が違っている理由は分かりません。もちろん年齢の勘定は数えでしているはずです。
 警察は当初、路上強盗だか強姦だかの「未遂」と考えていたようです。襲われた女性が「悲鳴」を上げたので驚いて「未遂」に終わったのだ、と。ところが蓋を開けてみると「悲鳴」が目的だったという珍事件なので、それで「襲撃?事件」などとしてあるのでした。今だったらDVDや動画サイトで探せばいくらでも女性の悲鳴など繰返し飽きる程聞けるでしょうけど、この一件が発覚して、警察や周囲はその後、この少年にどのように接して更生させようとしたのだか、気になるところです。

戦前の少年犯罪

戦前の少年犯罪

 ところで戦前の未成年の犯罪と云えばHP「少年犯罪データベース 戦前の少年犯罪」主宰の管賀江留郎『戦前の少年犯罪』(2007年10月30日初版発行・2008年12月10日7刷発行・定価2100円・築地書館・目次+294+33頁)がありますが、巻末(左開き)1〜25頁「戦前の少年犯罪年表」の19頁「昭和14年(1939)」条には、飛鳥山の不良狩も板橋の変態少年も、拾われていません。
 それはともかく、同じ事件であっても複数の記事を見ることで、疑問点が解決(新たな疑問が発生することもありますが)したり、事件のより具体的な様相が浮かび上がってきたりします。今は「東京朝日新聞」や「讀賣新聞」がデータベース化されましたので、まずそこを見ることになりましょう。けれども、やはりそこだけ見て満足してはいけないと思います。発行部数の少ない、影響力の乏しい新聞であっても、そこにしか出ていない記事はまァ眉唾だとして、他紙の記事と対照出来て参考に資するものは、実は少なくないのです。(以下続稿)

*1:(一頁)に【本日八頁】とあります。

*2:2月14日以降の分を点検しました。

*3:ルビ「ねんくれいらいいたはしくいたはし・かはしんしや/ふきん・すうくわい・わた・こう・かへ/こう・しふげき・けん/ひめい・おどろ・たうそうみすゐ・をは/さいきん・けん・むす・つ/はいびやうくわんしや・むすめ・ち・ほ/と/うはさ・ふ・おそ/さま・いたはししよ・うはさ・こんげん/つ・けいかい/ごご・じはんころ・くいたはし/こうさとう・え/か・ぜんきしんしやふきん・くら/ひめい/あ・しよけい・はつけんとり/おさ・ほんしよ・れん・とりしら・ところみぎ/ちつそいたはしこうじやう・み・こう・くし/し・すゞ・まん・か/ねんくれ・はんかう・じはく/わか・ひめい・なに/す・びやうてきせいしん・ほぢしや/しよ・とりしら・こ」。