瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(24)

 そして昭和14年(1939)2月22日(水曜日)には岩佐東一郎が、11月4日付(14)で見たように四谷で町会掲示板に「赤マントの佝僂男」云々の掲示を目にし、そして11月5日付(15)で見たように、銀座裏の料理屋でこの噂に怯える給仕と会話を交わします。このようなことになった背景には、11月8日付(18)から辿ってきた、19日(日曜日)夕刊以来の新聞報道に示されたような動きがあった訳です。
 そして、岩佐氏は「都新聞」23日(木曜日)夕刊に、11月5日付(15)に引いたラジオニュースの記事を見付けるのですが、同じ23日夕刊にはまたこれまでとは傾向の違った記事が、出て来ます。それは東京日日新聞で、見落しがあるかも知れませんが書き方からしても、これが同紙に出た初めての赤マントに関する記事のようです。
 昭和十四年二月二十四日【東京版】(金曜日)付、第二万二千四百八十五號の「夕刊*1」、すなわち(一)面に「(二十三日發行)」とあるように23日の午後の新聞なのですが、その(七)面*2、記事は狭い6段、その下に広告が広い4段にある、記事の4〜6段め、見出しは2段抜きで「“赤マント”は大うそ/デマの出所は板橋か」とあります。本文は以下の通りです。途中1字下げの箇所はルビなし。

數日前から赤いマントを著た佝僂/男が帝都の夜闇に跳梁して兒童婦/女子に迫害を加へるといふとんで/もない流言蜚語が頻と流布されて/ゐるので警視廳では時節柄怪しか/らぬとあつてそのデマの出所を突/き止め犯人を容赦なく處罰すること*3/になつた、この流言は板橋から出/【4段め】たものらしく警察の調べによると*4
 去る一月廿八日板橋區板橋第二/ 小學校兒童が氷川神社境内で不/
 良少年に惡戯されて怪我をした/ その犯人は直に板橋署に捕つて/
 留置されてゐるが
この事件に當時は世間を騒がした/東海道ピストル強盗事件とをごつ/ちやにしてそれにいつしか尾鰭が/*5【5段め】ついてかやうなデマが擴がつて/つたものと見てゐる


 「デマの出所は板橋か」としていて、11月10日付(20)及び11月11日付(21)で見た2月20日付「都新聞」「中外商業新報」に出ていた、そして11月12日付(22)及び11月13日付(23)に紹介した2月21日付「やまと新聞」「萬朝報」でも言及されていた板橋の変態少年のことかと思いきや、なんだか微妙に違います。まず捕まった日がこれらの記事では2月18日(土曜日)だったのが、この記事では1月28日(土曜日)です。東京市板橋區板橋町八丁目(現・板橋区氷川町)の氷川神社が出て来るのは共通していますが女工ではなく児童となっていて、対象も違うようです。1月の新聞までは点検していないので、果たしてこのような事件が別にあったのか、それとも誤伝なのかは何とも言えませんが、どうにも奇妙な印象は拭えません。それから東海道ピストル強盗の記事ですが、これはマイクロリーダーを繰る内にいくつか見ましたけれども、時間的にこの事件の経過まで追跡する余裕がありませんでしたので、「赤マント」の記事を一通り眺めた上で、なお余裕があれば確認して報告することにしましょう。ただ「やまと新聞」「萬朝報」に示された刑事部長の説に比して、説得力はないように思われるのですが如何でしょうか。(以下続稿)

*1:角書。

*2:頁付の前に「東B」とあり。

*3:「こと」は合字。

*4:ルビ「すう・あか/ていと・てうれう・じどうふ/はくがい/りうげん・ご・しきり・ふ/けいしちやう・じせつがらけ/しよ・つ/はん・ようしや・しよばつ/りうげん・いたはし/けいさつ」。

*5:ルビ「けん・たうじ・さわ/かいだう・がうたう・けん/を」。