飛鳥山の佝僂男の噂、そして板橋の肺病患者の噂――実は変態少年、が由来なのかと思いきや、東海道ピストル強盗だの怪しげな瀉血療法の男だの、なんだか妙なものが持ち出されるようになって、どうかと思われるような記事も出て来ます。私は取り敢えず関係する資料を集められるだけ集めて示して置こうと思っていますので、そんなものでも排除せずに置くつもりですが、やはり余り気分の良いものではありませんので、ここで一旦新聞記事から離れて、雑誌の記事を見て置こうと思います。
* * * * * * * * * *
これまでに紹介した資料からも「赤マント事件」が昭和14年(1939)2月の出来事であることは、明らかでしょう。しかるに従来そう思われて来なかったのは、実際に体験した人たちも「こんなデマ」の記憶に、正確な時期など伴っていなかったことが、第一に挙げられるでしょう。この曖昧さが小沢信男「わたしの赤マント」では巧みに活用されていたのでした。次に、そうでない年を主張する説が目立っていたからで、1つは加太氏の昭和15年説、もう1つは中村氏・朝倉氏の昭和11年説でした。10月25日付(4)で見た加太氏説は「赤マント」の発生源の濡れ衣を着せられたと主張する《当事者》の証言という訳ですし、10月24日付(3)で見た朝倉氏説は『現代民話考』に「昭和十一年、十二年頃」と明記してあることを根拠に加太氏説は「明らかな誤り」であるとして立てられたのでしたが、実は朝倉氏の根拠にした『現代民話考』の年記が誤りなのでした。
しかしこれだけの報道がなされていたのですから、昭和14年だとする年表類も、実は存在するのです。或いは、昭和14年のことだと一般には思われていないということを知らずに、昭和14年の記録を見出した人も、多分いたろうと思うのです。
例えば、典拠がはっきりしないのですが、JRT四国放送のHPの四国放送ラジオの「日曜懐メロ大全集」のコーナー「あの日あの時」の第28回「昭和14年(1939年)」(2006年1月29日放送)の「流行語」欄に、以下のように見えています。当時の担当者、八幡篤範(1961.11.7生)アナウンサーがこの通り読み上げていたようです。
「赤マント」
東京市中に女子供を襲う赤いマントの「せむし男」が現れるという噂が広まる。
墓地の近くで少女が暴行を受けて殺害された事件が噂の発端となった。
「国家非常時」という理由で強盗や殺人等の犯罪報道が禁じられ情報への不信感があった。
四国放送がこのようにまとめたのか、それとも何かこのようにまとめた本が存するのか、それはぼちぼち調査することにして、墓地云々というのは加太氏説に由来するものでしょう。そして「情報への不信感」というのは、次の本に収録されている大宅壮一「「赤マント」社会学」に由来するもののようです。
・ちくま文庫 小沢信男 編『犯罪百話 昭和篇』一九八八年九月二十七日第一刷発行・一九九〇年六月十日第二刷発行・定価777円・筑摩書房・536頁
そうなのです。小沢氏は「赤マント事件」が昭和14年(1939)のことと突き止めていたのでした。「わたしの赤マント」執筆時点で気付いていたのか、それとも執筆後も心掛けていて見出したのか、とにかく平成元年(1989)の『東京百景』刊行時には判明していたのです。但しわざわざ書き加えて「小説」の結構を崩すこともあるまいと判断したのでしょう。
この『犯罪百話』を朝倉氏が見落として昭和11年説を言い立てたのはどうしてなのだか*1、――ネット上にもこの本の話題が殆ど出ないのですが、どうもネットが普及する前の昭和末年から平成1桁の情報が、探しにくい気がします。それはともかく、折角、昭和14年に赤マント、という切っ掛けをつかんだのですから、ネット上の情報の見落しがないか手掛り足掛りになりそうな検索語を少しずつ変えて検索をかけているうち、「妖怪探求」という掲示板の「関西牛妖怪について」というツリーに辿り着きました。「関西牛妖怪」というのは「件」のことで、そこで佐藤健二『流言蜚語』の話題から派生して、タキタ「怪人「赤マント」載ってますか?」、りん「「赤マント」について」「「赤マント」記事発見」、佐々木卓「赤いマントの怪人」という書き込みがあり、そのうち「「赤マント」について」に、本書が以下のように紹介されていたのでした。
●もっとコメントしたいところですが、ちょっと最近バタバタしていて時間が無いので、参考図書を数冊紹介しておきます。許してくだされ。
今週の月曜日の朝、出勤前でしたがこの記述を読んで色を失い、帰りに木枯らし1号の吹きすさぶ中を途中駅で下車して、雨に濡れた工場街を延々歩いて図書館の書庫から出してもらって、早速この『犯罪百話』を読んでみたのでした。(以下続稿)
【2020年6月4日追記】『犯罪百話 昭和篇』の第一刷を見ました。奥付には「一九八八年九月二十七日 第一刷発行」とあって左1行分空白。カバーにはバーコードはなく最上部の横線(8.9cm)の上、中央に太陽のマーク、右端にゴシック体でやや小さく「定価780円」横線の下、左に7行、右に6行の紹介文、
阿部定、正田昭、小原保、大久/保清、三浦和義、かい人21面相/……といった “名高い” 犯罪者/から、コソ泥、スリ、サギ師/まで、昭和の時代を背景に、/多彩なドラマを演じた人びと/の物語。犯罪そのものの話だ【左】けでなく、警察官や塀の中の/世界までも登場する。筆者に/は内田百閒、坂口安吾、大宅/壮一、大岡昇平、吉野せい、/種村季弘、野坂昭如、安部譲/二、南伸坊など多土済々。
バーコードはない。最下部右寄せでOCR-Bフォントで「ISBN4-480-02264-3 C0136 ¥780E」。カバー背表紙最下部、ごく小さく「780」。カバー折返し・奥付・目録については第二刷と比較しつつメモして置きたかった。