瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(39)

 昨日の続きで、昭和14年(1939)2月24日(金曜日)夕刊に出た記事を、もう1つ見て置きましょう。
 「都新聞」昭和十四年二月廿五日(土曜日)付の「夕刊*1」第一万八千四百三十四號、すなわち2月24日の午後の新聞で(一)面に「(頁四刊夕日四廿)」とあります。(二)面の9段め、ルビのないベタ記事で、見出しはゴシック体で大きく示されていますが、見出しの下から本文が始まっています。ルビの附されていないベタ記事で、一回り大きいゴシック体の見出しの下から本文が始まっています。年齢の漢数字は小さく、2桁めが右寄せ、1桁めが左寄せ。

 黒マント捕る 瀧野川署/では一月以來深夜婦女子にいたづ/らし金錢を強奪する白線入學生帽/黒マントの怪漢を追究してゐたが/廿四日も午前一時ごろ署員が瀧野/川區田端新町二の一〇先を徘徊中/の同一服装の男を本署に同行取調/べると右は同町一の五七大谷りき/の次男澁谷某小學校給仕小石川某/工業學校二年生夫左二(二〇)―假名/で去る十七日夜同町一の七〇茂木/とり(二六)から一圓を強奪した外五/件を自白した


 この記事は昨日見た「報知新聞」の記事のように「赤マント」への言及がありません。但し見付けたのはこの「都新聞」の方が先で、板橋の変態少年の記事よりも先にこの記事を書き抜いていました。そこで心掛けているうち「報知新聞」にも出ていることに気付き、それには「赤マント」への言及もあった訳です。――それにしても、瀧野川署管内で1月以来というのですから、この「黒マント」だって赤マントに関連付けられて良さそうなものです。いえ、11月15日付(25)に引いた2月23日の「報知新聞」夕刊で「本源」とされていた瀉血の中年よりか、余程赤マントらしいのですが何故か別箇のものとして扱われています。
 何故別物扱いされたのか、理由があるのかないのか、いづれデマの本源など何が本当か分からないのですけれども、不思議な気がします。
 さて、久し振りに再開したのでうっかりしておりまして、「都新聞」は2月24日(金曜日)の朝刊に大きく赤マントの記事が出ていたのを飛ばしておりました。順番が前後しましたが、明日はその記事を紹介することとしましょう。(以下続稿)

*1:角書。