瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(49)

 ここで久し振りに2011年8月19日付「駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』(11)」にて参照した、梅田厚 ガイド文/人文社編集部 企画・編集『古地図・現代図で歩く 昭和東京散歩[戦前](古地図ライブラリー別冊)』(2004年1月第1版第1刷発行・定価2,600円・人文社・152+8頁)を借りて来ました。9月8日付「松本清張『内海の輪』(5)」でも触れましたが、版元の人文社は倒産してしまいました。
 言問警察署は昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で焼失し、5月17日に兩國警察署・厩橋警察署・太平警察署に統合されて本所警察署となっています。どこにあったかというと、東京市本所區小梅一丁目6番地、当時の業平橋驛の北、現在のとうきょうスカイツリー駅の北、東京都墨田区押上2丁目1番地、都営押上二丁目アパート1号棟の位置です。
 その管内は東京市本所區の北部、北十間川の北側の向島須崎町向島請地町・向島押上町・向島(一〜三丁目)・小梅(一〜三丁目)すなわち現在の墨田区向島(1〜5丁目)・押上(1〜2丁目)と、北十間川の南側、横十間川と大横川に挟まれた地域の北部、業平橋(一〜五丁目)と平川橋(一〜五丁目)すなわち現在の墨田区業平(1〜5丁目)であったようです。言問小學校は向島須崎町、現在も同じ場所(向島5丁目)に現存。牛島小學校は小梅三丁目、現在の東京都立本所高等学校(向島3丁目)の位置にありましたが昭和21年(1946)3月廃校。小梅小學校は当時の向島二丁目、現在も向島2丁目の同じ場所に現存。業平小學校は平川橋二丁目、現在の業平2丁目の同じ位置に現存。ちなみに柳元小學校は平川橋(一〜五丁目)の南、横川橋(一〜五丁目)にありました。当時、横川橋四丁目(現・横川4丁目)の春日通りの北に柳元小學校、南に柳島小學校があり、柳元小學校の跡地は戦後、東京都立深川商業高等学校となり、現在は本所警察署になっています。柳島小學校は少し東南東(横川5丁目)に移転して現存、跡地は本所消防署になっています。

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 しばらく放置していましたが『君は隅田川に消えたのか』についても、大谷芳久『藤牧義夫 眞僞』との関係について、かつて当ブログにて疑問とした箇所を中心に確認して見ました。これらは来年何とかしたいと思っています。(以下続稿)