瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(66)

 さて、赤マント遊びというのも今のところ他に見ないのですが、「狙われるのはすべて男の子であった」というのも、他の例はむしろ女子、12月17日付(57)で見た同学年の種村氏も「好んで女学校の便所に出没するという説」を紹介していました。
 そんないろいろと他とは違った点を持つ中島公子の小説「坂と赤マント」の続きを眺めて行きましょう。8頁12行め〜9頁2行め、

 その作り話の発端は、幼い弟を恐がらせてやろうと考えたいたずら好きの中学生あたりにあ/ったのだろう。だがナンセンスで同時にちょっぴり嗜虐的で頽廃の匂いのするこの通り魔の話/は、「明日の日本」を背負う青少年の育成に心をくだく教育者にとってはなおざりにできない/ものを含んでいたにちがいない。さらにこの流行を悪用した実際の犯罪の可能性を考えるなら、/ひとこと注意の要ありと教頭先生が判断したのも当然であろう。このばかばかしい「話」とそ/【8頁】れにもとづく「赤マントごっこ」を以後本校の児童がすることを固く禁ずる、というのが訓示/の主旨であった。


 11月2日付(12)及び11月3日付(13)で見た、小沢信男「わたしの赤マント」のように、このデマに作者を想定する意見もあった訳ですが、昭和14年(1939)2月の新聞記事を眺めても、赤マントは自然発生して来たと云うべきで、その後蒸し返されたものについても特に作者を想定して、意図的に流したというのは当たらないでしょう。但し「赤マント遊び」ということになると、確かに「いたずら好きの中学生あたり」が、それこそ北杜夫『楡家の人びと』の楡藍子のように、拵え事をしたのかも知れません。
 そして、訓示を受けての弘子たちの反応。9頁3〜9行め、

 ところが、さてこの種の訓示ほど逆効果なものはない。「先生がおっしゃるくらいだから、/あの話はホントのことだったのだ……」と那奈ちゃんは目玉をむきだしそうにしながら言い、/弘子もあごが痛くなるほどふかくうなずいた。おとなが「ウソだ……」といえば、たいていそ/の嘘は本当なのだ。これほどたしかな保証はなかった。これまで弘子は、「赤マント」が女の/子には関係ないことなので、その噂をあまり身近に感じたことがなかったのだが、その黒いマ/ントの男の影は先生の訓示でがぜん実在性をおび、ぐんぐん大きくなって、弘子と那奈ちゃん/の脳髄を完全に占領してしまった。


 こうした、先生が言うのだから本当なのだ、という解釈は、12月3日付(43)で見た、巡査の訪問を受けた家庭の主婦の「お巡りさんがあんなにして歩くのだから、ひょっとしたら本当かも知れないとの疑い」と、共通するものがあります。
 かなり他とは違った内容になっているのですが、小説として記述内容を整えていることもあってか、なかなかに説得力ある見解が示されています。そこで気になるのはやはり娘の小説の「赤マント」の内容がこれと異なるところです。ここまで明確に書かれていることをそのまま採用しなかったのは、母の体験はこの通りとしても、他に類例の報告がないので躊躇したのでしょうか。それとも母が実際に体験した内容は実はこれとは違っていて、小説としてかなり頭の中で拵えたところがあるので、それをそのまま採用するのを憚ったのでしょうか。――小説の場合、どうしても作者の体験がこの通りだったのか、というところが、気になってしまうのです。(以下続稿)