瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(67)

 それでは、12月22日付(62)から検討を続けて来た中島公子『My Lost Childhood』所収「坂と赤マント」ですが、今日で一応切り上げて置きます。
 9頁10行め〜10頁7行め、弘子たちは赤マントの姿を具体的に想像します。やはりそのイメージは、昭和14年(1939)2月当時の「セムシ男」ではなく、シルクハットの紳士なのでした。

 その男はきっと背が高くてシルクハットをかぶっているのだ。黒いマントには音楽室のグラ/ンド・ピアノにかけてあるしゅすのカバーみたいなまっかな裏地がついているのにちがいない。/子供が恐怖にものも言えず、ただ立ちすくんでいると、「男」はそのマントをぱっとひるがえ/して子供をその緋色の布に包みこみ、なかで鋭いやいばが子供の肉を引き裂くのを外にはちら/りとも見せないのだ。陽はすでに落ち、しかしまだ街々に灯のともるまえ、藍色に昏れなずむ/都会の片隅の人けない舗道に、犯罪は音もなく、あたりの空気を一瞬かきみだすだけに終わる/のだろう。なま温かい風が血の匂いを人びとの鼻さきにはこんで行くころには、赤マントの姿/*1【9頁】はかき消えているにちがいなかった。
 教頭先生はなんだってあんな話をしたんだろう。それはきっと男の子がいざというときみん/な落ち着いて、だれか友だちの兄さんでもからかい半分にやっているのだ、と思いこみ、らく/らくと「青マント!」と答えられるようにするためだ。そのためにアレを遊びだなどといって/安心させようとしたのだ、と那奈ちゃんは言った。那奈ちゃんはかけっこだけでなく頭の回転/も早かった。弘子が疑問に思うことにはたいていぱっと回答をみつけてくれる。弘子は感心し/てその説明を聞いていた。


 ここからやっと、12月23日付(63)で見た、冒頭部に説明のあった「坂」に絡めて、将来の楡藍子(?)候補の「那奈ちゃん」が赤マントの正体についてあれこれと勝手な想像を膨らませることになるのですが、そこは引くに及ばないでしょう*2
 ここでは、結末近くの弘子の疑問と那奈ちゃんのその答えを抜いて置くに止めます。18頁10行め〜19頁6行め、

「赤マント」はどうして男の子ばかり狙うのだろう……という疑問がふと弘子の頭にうかんだ。/赤マントが男の子を狙うのは、男の子が憎らしいからなのだろうか。それとも愛しているから/なのだろうか……。
 こんどの疑問にはさすがの那奈ちゃんもおいそれと回答をだすことはできないようであった。/教室で先生に指されて答えられないときのように、おでこをへこませてもじもじ鼻のさきを指/でつまんでいた。それからやおら弘子のほうに向き直ると、考えこんだ表情で、
「だれにも言っちゃ、だめよ」【18頁】
 と念を押し、
「もしかしたらね、赤マントは敵国のスパイなんだわ……」
 と言った。
 弘子たちの物心つくころから大陸での戦争はずっとつづいていて、日本は<銃後>であった。/男の子はやがて兵隊さんになる。一人でも兵隊さんをへらしておこうとする赤マントは敵国の/スパイだ、という那奈ちゃんの推理なのである。


 この答えに弘子はあまり感心しないのですが、那奈ちゃんは、スパイとは、19頁10行め「そりゃもちろん、ソビエットか、ゲー・ペー・ウーだわ*3」と言うのです。この那奈ちゃん、「坂」の途中にある家を、17頁1〜2行め「だれにも言っちゃあだめよ。あのもう一つの家は田代さんといってね、もとケイシソーカン/だったのよ」と言ったり、なんだか事情通で、父親が警察関係者だったのかも知れません。
 さて、中島公子・中島京子母娘の小説では、これまで引いた資料には見えなかった「青マント」という言葉が持ち出されています。「青マント」という怪人はいないらしいのですが「青いマント」が持ち出される話は別にいくつかあります。それらの話との関係については追々述べることとしましょう。とにかく小説ということでそのままでは使いづらいし、昭和14年2月の騒動ではなくその後の“ぶり返し”なのですが、小沢氏の小説が初老のオヤジの、いろいろな意味で屈折した回想であるのに対して、子供の視点から赤マントに対する生き生きとした反応を描いている中島氏の小説は、もっと注目されて良いように思います。(以下続稿)

*1:「しゅす」に傍点「ヽ」。

*2:それこそ、小沢信男「わたしの赤マント」の向うを張って『わたしたちの赤マント』とかいうアンソロジーでも作らせてもらえるのなら、昭和14年の部の目玉に岩佐東一郎「赤いマント」、その残像の部に中島公子「坂と赤マント」を全文収録して、もちろん小沢氏の小説も初出と再録の異同を注記しつつ全文収録して、……と空想は、自由なのですけれども。

*3:片仮名に傍点「ヽ」。