瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(75)

・中村希明『怪談の心理学』(3)
 赤マントは「第一章 トイレの怪談の系譜――デマの心理学」に記述されています。
 最初から節見出しを挙げて置きましょう。漢字はゴシック体、仮名は明朝体の太字です。18頁1行め「デマゴーグとしての「学校の怪談」、20頁1行め「「トイレのハナコさん」」、22頁5行め「「あかずの便所」の怪談」、26頁6行め「昭和初期の不況と戦争の影」、28頁9行め「「赤マント・青マント」の恐怖」、30頁12行め「暗い情動」、32頁7行め「なぜ赤マントの怪人になったか*1、35頁9行め「報道管制とデマゴーグ」、37頁13行め「「赤い紙ヤロカ、白い紙ヤロカ」」、39頁11行め「「白い手、赤い手」と河童のフォークロア」、43頁5行め「伝達内容の変形」、46頁13行め「伝説というデマ」、48頁2行め「白い手の恐怖と思春期の性不安」、49頁6行め「デマの伝達と変容の法則」、53頁9行め「伝達によるデマの変容実験」、55頁7行め「室内デマの実験」、61頁9行め「デマと「現実基準」」、63頁9行め「デマの「強調」の法則」、66頁6行め「すぐれたコント」。見出しの前は1行空白。なお、引用は2字下げで前後が1行ずつ空白。
 ここではまず最初の節から、19頁16行め「精神科医である筆者が「学校の怪談」をとり上げた」理由を説明した箇所を見て置きましょう。
 18頁11〜12行め「読者の皆さんには、筆者がこうした子供らの他愛もないルーマーを真面目に取り上げる/ことに疑念を持たれるのではあるまいか」と前置きして、19頁3〜5行め「デマの研究にはじめて手をつけた社会心理学者G・W・オルポートは、「口伝によって人から人へと伝えられる特殊な信念の叙述であり、しかも信じうる証拠の示されないもの」と定義している」が、6〜7行め「「学校の怪談」なるものの正体はまさに学童間で流布するデマゴーグであり、/社会心理学的研究の好材料になりうる」との判断だというのです。そして8行め「デマは社会的な緊張がたかまったときに爆発的に流行する」として、9〜12行め

 ハーバード大学教授であったオルポートがこのデマゴーグに目をつけたのも、一九四一/年の真珠湾ショックによって全米に流行した奇怪な「戦時デマ」の研究からであった。と/すれば、小学生だった筆者を悩ました戦中のトイレの怪談も、開戦前夜のわが国の社会不/安を反映したデマゴーグではなかったろうか。


 すなわち、13〜15行め「デマ」は「時代の社会病理を鋭敏に反映す/る鏡」であり、「トイレの怪談の変遷を通じて、昭和から平成までのわが国の/社会病理を読みとくことができるのではなかろうか」との目論見なのです。
 その、18頁16行め「筆者のような研究」に際しての資料ですが、「学校の怪談」ブームの一方で、18頁13〜14行め「学童間の口承文芸としてとらえる民俗学/者常光徹氏の労作なども上梓されるようになった」ものの、14〜16行め「学校にまつわるいっさいの/怪談のたぐいをテーマ別に、その流行時期や分布地域まで詳細に記録した松谷みよ子氏の/『現代民話考・学校篇』が唯一の総合的文献なのである」との現状を指摘します。ちなみに「常光徹氏の労作」とは219頁「参考図書」の1点め「松谷みよ子『現代民話考』7 学校篇 立風書房 一九九三*2」に次いで2点めに「常光徹学校の怪談ミネルヴァ書房 一九九三」と見えている研究書の方です。
 この、松谷みよ子『学校(現代民話考[第二期]Ⅱ)』が「唯一の総合的文献」という状況は、今も変わっていないでしょう。講談社ポプラ社のシリーズを通じて全国の小学生からの読者カードの形で、話の数だけはそれなりの蓄積がなされたろうと思うのですが、2013年4月13日付「常光徹『学校の怪談』(004)」でも触れたように、小中学生の報告はそのまま使えるわけもなく、断片的かつ背景となっている学校についての説明も十分でないような報告に止まるでしょう。未だに「流行時期や分布地域まで」明示した網羅的な資料集は、『現代民話考』の他にはないのではないでしょうか。もちろん『現代民話考』にも問題はあるので、そのことは既に触れたこともあり、今後も触れることになろうと思います。(以下続稿)

*1:2020年8月29日追記】この節が落ちていたのを補った。

*2:『現代民話考[第二期]Ⅱ』として昭和62年(1987)に刊行されたのですが、後に『現代民話考7』と番号が変更されました。それが平成5年(1993)だったのでしょうか。とにかく中村氏が本格的にこの研究を始めた時期もここから窺い知られるようです。【2020年8月29日追記】平成元年(1989)秋に[第二期]を廃して第一期からの通しとすることになり、第2刷(1987年6月9日 第1刷発行/1990年2月15日 第2刷発行・定価2136円)から「7」になっている。なお、この註記、当初「平成6年(1993)」と誤っていたのを訂正した。