瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(76)

・中村希明『怪談の心理学』(4)
 1月3日付(73)に引いた「あとがき」に、「「便所の怪談」のルーツが、実は‥‥旧制高校生たちのやるせないうっぷんばらし」とありました。この辺りは第一章の「「あかずの便所」の怪談」の節とその次の「昭和初期の不況と戦争の影」の節に述べてあります。
 中村氏は22頁6行め「学校のトイレという場所と怪談を結びつけたのは戦前の全寮制の高等学校だったという説がある」というのですが、誰が何を根拠に述べた説なのか、示して欲しいところです。それに、中村氏も40頁11〜13行めに引用しているように「手が出て来てお尻をなでる」という明治35年(1902)頃の話が『現代民話考』には出ているのです。中村氏はこれに40頁9〜10行め「便所の下から現れて子供の尻をなでまわす怪談だけが、独立して明治時代の小学校にも存する」とのコメントを附しているのですが、「独立して」いるように見えるのは同時代の資料・回想が殆どないからでしょう。
 これに限らず、中村氏の「分析」はどうも、『現代民話考』に載るものを全てとして、その背後に記録されなかった無数の同類の話のあったことが想定されていないように思われるのです。
 ところで「あかずの便所」というのは松谷氏が学校の怪談に注意するきっかけとなった鳥越信(1929.12.4〜2013.2.14)の語った旧制姫路高等学校の怪談ですが、これについては、同類の話とともに別に考察することにしましょう。ここでは、中村氏の推測する、旧制高校に寄宿舎にこのような話が語られ広まった理由を見て置きましょう。26頁1行め、こうした「デマを発生させる原動力」は2行め「欲求不満の感情」であるのだが、それは「共通感情を持つ、集団の内部で伝わってゆく」ので、4行め「この手のデマが当時の旧制高校生間で広まったのは、徴兵年齢に近い学生の間に、/学徒動員の不安と緊張とが次第にたかまってきたからではなかろうか」すなわち、28頁5〜6行め「やがて否/応なく戦場に引きずり出されていく不運な世代のやるせない空騒ぎではなかったろうか」と推測し、7〜8行め「彼ら大学生の漠たる不安が、動員年齢の低下に従って、やがて中学生から小学生/へと伝播*1していくのである」という筋を引きます。
 ここで注意して置きたいのは、中村氏が赤マントについて、昭和14年(1939)2月という時期を知らないことはもちろんですが、夕方路上に出没するというパターンを全く意識していないことです。ここが『紙芝居昭和史』や『楡家の人びと』を見ていた朝倉喬司との違いで、2013年10月24日付(03)で見たように、朝倉氏が中村氏と同じ話を引きながら敢えて「学校の便所」に関する記述を省略した所以でしょう。中村氏の弱点は、やはり『現代民話考』のみに依拠しているところにあると言えそうです。
 もちろん、そうなるについては、中村氏本人の体験が学校の便所絡みで、それが強く印象付けられてしまっていたからなのですけれども。(以下続稿)

*1:ルビ「でんぱ」。