瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(79)

松谷みよ子『現代民話考』の赤マント(1)
 『現代民話考』に載る、北川幸比古(1930.10.10生)の赤マントの体験談の時期が、何故か誤記されていたことは、2013年10月24日付(03)にて指摘しました。『現代民話考』は松谷みよ子が民話の研究会改め日本民話の会の機関誌「民話の手帖」で呼び掛けてアンケートにて蒐集した話を土台としているのですが、赤マントの話は北川氏のものに止まりません。但し、昭和14年(1939)2月と指した例はないのです。それで朝倉氏も、それから中村氏も物集氏も昭和14年に行き着けなかったのでした。……いえ、昭和14年の話がないのではなくて、北川氏の体験談は昭和14年2月の帝都での大流行時のものだろう(北川氏は小学3年生ではなく2年生だったはずですが)と、私は考えています。この北川氏の話について、朝倉氏は「(街の)あちこちに(散らばるかのごとき)死体、それを軍隊、警察が(何やら秘密めいた動きのうちに)かたづけた」とでも表記できるはずの、事態に係わるイメージ」などと膨らませているのですが、これは明らかに「二・二六事件」に引き付けた過剰な深読みと言うべきでしょう。東京全市の噂になったのは実際に「現れ人を襲」ったからで、何もないのにこんなに皆が怯えてしまうはずがないので、ですから、自分たちの周囲には全く見掛けないけれども、本当は「あちこちに死体があ」るはずなので、けれども誰も死体を見た者がいないのは、「軍隊、警察が」出動して人目に触れる前に「かたづけ」てしまうからだ、とは、『楡家の人びと』の楡藍子や「坂と赤マント」の那奈ちゃんのような、クラスの智恵者が思い付きそうな発想です。
 それはともかく、この辺りで『現代民話考』に見える赤マントの他の例について、確認して置くこととしましょう。まず、北川氏の話が本文(例話)として採用されている、単行本『現代民話考[第二期]II 学校〈笑いと怪談/子供たちの銃後・学童疎開・学徒動員〉』(1987年6月9日第1刷発行・立風書房・定価2,000円・407頁)23〜224頁「第一章 怪談」198頁3行め〜221頁3行め「二十、学校の妖怪や神たち」210〜212頁6行め「七 赤マント・青いドレスの女など」に出ている話から見て置きます。ちくま文庫版『現代民話考[7] 学校・笑いと怪談・学童疎開』(二〇〇三年十月八日第一刷発行・筑摩書房・定価1400円・475頁)では19〜325頁「第一章 笑いと怪談」29〜269頁「怪談」236頁10行め〜265頁「二十 学校の妖怪や神たち」251頁14行め〜254頁7行め「赤マント・青いドレスの女など」で、話の増減はありません。
 単行本210頁8行め・文庫版252頁6行め「分布」の2例め、単行本210頁12〜13行め・文庫版252頁10〜11行めに、

○千葉県市川市日出小学校。女子トイレに、赤マントが出るそうです。
  文・回答者・同右。

とあって「同右」というのは1例め(単行本210頁11行め・文庫版252頁9行め)に「文・前■みちる。回答者・米屋陽一(千葉県在住)。」とあるのを指しています。回答者の米谷陽一(1945生)は日本民話の会会員で、平成23年(2011)まで38年間、千葉県市川市日出学園中学・高等学校教諭でした。文を書いたのは教え子の中学生か高校生でしょうから、或いは許可を得て掲出したのかも知れませんが、名前は一部伏字にして置きました。そして3例め(単行本210頁14行め・文庫版252頁12〜13行め)が北川氏の話、5例め(単行本211頁4〜6行め・文庫版253頁3〜5行め)は以下の通り。「/」は単行本の改行箇所、「|」は文庫版の改行箇所、なお単行本「○」は文庫版「*」で、次の行頭から1字下げ。

福井県三方*1美浜町。昭和二十五年頃、山東小学校(現、美浜東小学校)で。学校|の便所に赤/マントが出るという話もその頃の話。
  回答者・金田久璋福井県在住)


 金田久璋(1943生)は福井県三方郡美浜町在住の民俗学者です。なお、書き方が一寸変ですが、これは回答者の責任ではなくて、回答者がアンケートに幾つかの話をまとめて報告して来たのを、編集に際して、話ごとに分類・分割したためです。(以下続稿)
2021年3月25日追記】金田久璋(1943.9.22生)の経歴については、次の本の著者略歴に詳しい。松波資之(1830.十二.十九~1906.9.13)の曾孫、福井県三方郡美浜町(旧山東村)佐田生れ。

ニソの杜と若狭の民俗世界

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*1:ルビ「みかた」。