瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(90)

小沢信男「わたしの赤マント」校異(7)
・【84】168下6「密かに」→26頁1「ひそかに」
・【85】168下18「促がした」→26頁8「促した」
・【86】169上6「『パノラマ島奇談』を、」→26頁14「『パノラマ島綺談』を、」
・【87】169上8「はみ出して」→26頁16「はみだして」
・【88】169上10「転げ出て、」→26頁17「転げでて、」
・【89】169上12「半ば」→26頁18「なかば」
 もう少し牧野氏の3度目の「お尋ねします」は続くのですが、次の箇所は段落ごと引用して置きましょう。
【90】『文学1983』169上15〜17

 その赤マントが退場する。加太氏がはからずも流布の一/役を担ったように、はからずも幕引きの役を担ったのが、その銀行員氏だったのでしょう。


『東京百景』26頁20〜21(『コレクション 戦争×文学』14・546頁8〜9行め)

 その赤マントが退場する。濡れ衣にせよはからずも幕引きの役を担ったのが、その銀行員氏だったのでしょう。


 『文学1983』の段階では、加太氏の記述を信じて昭和15年説を採っていたので、「加太氏がはからずも流布の一役を担ったように」としていたのですが、『東京百景』では削除しています。
 但しこの少し前の段落はそのままになっています。『文学1983』168頁下段20行め〜169頁上段2行め、改行箇所は「/」。『東京百景』26頁10〜12行め、改行箇所は「\」、『コレクション 戦争×文学』14・545頁14〜17行め、改行箇所は「|」。

 国家権力は、自分を戯画化する赤マントを容赦しません/でした。大阪の警察は、加太こうじ氏|作る紙\芝居を“焚書/の刑”に付しました。そして東京では、一銀行員の逮捕。/この三十歳の銀行|員氏が、はた\して本当に赤マントの仕掛/人だったかどうか。加太氏とおなじく濡れ衣だったかも|し/れません。


 加太氏の、紙芝居についての記述はそのまま使用して良いのか大いに疑問なのですが、それはまだ『文学1983』の時点でははっきりしていませんでした。ここは主人公の牧野氏が手持ちの材料から、加太氏説に懐疑的な同級生の意見もありますがそれを採らない方向で組み立てているのですから、この書き方で問題はありません。改稿に際しても手を加えずにいます。
 ただ、作者の小沢氏としては、加太氏説が誤りである――それらしいことが一応あったのだとしても、恐らく自分たちの体験した赤マントとは関係ないらしいことが明白になった以上、改稿の機会を得たことで、加太氏説にも配慮しつつも懐疑的な方向に書き換えて、こういった加太氏説に基づいて書いてしまった箇所についても、その印象を極力弱めて置きたいと思ったろうと、思うのです。
 それでは、次回、残りの部分を挙げて、前回の考証及び、異同全体のまとめのようなことをすることにします。(以下続稿)