瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(98)

物集高音「赤きマント」(6)
 昨日の場面の続き。
 疑いを発したチヨ女史に、白フリル(富崎ゆう)は「作者本人が云ってるンだから!」と肯定して見せます。次いで髭博士(レ博士)から、原文は2013年10月25日付(04)に引きましたが加太こうじ『紙芝居昭和史』に「紙芝居屋がやる紙芝居としてはもっともまじめで教育的な作品のうちにはいる」と説明されている作品が何故取締の対象になったのか、という疑問が提示され、それに対して白フリルは、東京の紙芝居が東海道の都市を巡って大阪に入った「順路と時間が、ちょうど赤マントの噂の流行と一致して見えたってわけ。少なくとも、警察の眼には紙芝居がデマの原因と映ったわけ」と言って納得させます。
 ところが、そこをまた自分で混ぜっ返すのです。32頁下段11行め〜33頁上段16行め、

「ノン、ノン、ノン! それが違うンだな〜! い/〜い〜? 作者はこうも云ってるンだ。デマは谷中/の少女暴行事件に発しているって! つまり、噂の/方が先行してるわけ! 紙芝居が後なの! ンで、/わたし、ちょっと調べてみたンだ。そしたらさ……」
 少女暴行事件がなかった。否、確認出来なかった。
 昭和十一(一九三六)年四月、向島の少女惨殺事/件。十二年十一月「晶ちゃん殺人事件」。十三年一/月、青山墓地での若妻傷害事件。十四年七月、浅草/の児童誘拐事件。十五年六月、城東での強盗及び少/女絞殺事件。
「こう見えても、わたしだって暇じゃないから、全/部の新聞を検索したわけじゃないけど、でも、一紙/の目次を通覧した限りじゃ、昭和十五年前後に、谷/中の少女暴行事件なんてなかったンだ!」
 今度はゲーム屋が突っ込んだ。弱味を突いた。
「で、でもォ〜、あったかも知れませんよねェ〜?/単にィ〜、ゆうちゃんがァ〜、見てないだけでェ/〜? 他の新聞とかにィ〜?」
「そんなの、決まってるじゃん! でもね、多分、/わたしはなかったと思うよ。仮にあったとしても/さ、赤マントの噂とは、ぜーんぜん、関係ないっ/て!」
 少女は自信満々だった。鼻高々だった。


 ゲーム屋は脇屋氏で職業が「ゲーム制作者」なのです。
 私には加太氏の言い分で「噂の方が先行している」とは読みませんでした。事件が発生した頃、偶然近くで演じられていた「赤マントの魔法使い」のイメージが、赤マントの怪人を「発生」させ「たらしい」というのは、別に何等可笑しくありません。紙芝居の西漸に従ってデマも大阪に達したというのは、有り得ないことでもないでしょう。
 ここで重要なのは「少女暴行事件がなかった」という指摘です。
 加太氏説は時期に錯誤があるとしか思えないのですけれども、その時期は事件が特定出来れば解決される訳ですから、昨年、調査を始めた頃に、私も「東京朝日新聞」や「讀賣新聞」のデータベースで検索して見ました。しかしそれらしい事件はヒットしませんでした。本作の書かれた当時は「東京朝日新聞」の縮刷版巻頭の「記事索引」を見るしかなかったと思います。その、見当らなかったことをこれまで書かなかったのは、脇屋氏の突っ込んでいるように「他の新聞」に出ている可能性、すなわち「東京朝日新聞」に出ていない赤マントが「都新聞」では連日記事になっていたのと同様に、他紙に何か出ていた可能性を潰せていなかったのと、たぶんそんな作業をしたところで、他の文献との整合性という点から加太氏説への疑惑が確定的となった以上、仕方がないと思ったからです。
 尤も、大宅壮一「「赤マント」社会学」に、2013年11月23日付(33)に引いた箇所ですが「この流言には全然根拠がなかったわけではない。日暮里辺で佝僂の不良が通行の少女にいたずらをしたとか‥‥いう事件が事実あったそうだ」と類似の事件の存在が指摘されているのですから、この事件を突き止めることは無駄とは言い切れません。当時の新聞記事には出ておらず、大宅氏が書き留めているだけなのですけれども、「ぜーんぜん、関係ない」のかどうかは、分かりません。しかし現在私が揃えている資料からすると、別にこの事件を解明しなくとも大体の発生源は想定可能で、とにかく時期が判明しないことには何ともしようがないので、現時点では差当り、保留にして置くより他、ない訳です。(以下続稿)