瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(101)

物集高音「赤きマント」(9)
 1月30日付(100)では飛ばした、加太こうじの紙芝居以前に赤マントの噂があった根拠を白フリル(富崎ゆう)が説明したところを検討して見ましょう。
 まず白フリルは「『現代民話考 学校』って本のコピー」を机に置きます。前回述べたようにこれが1月12日付(82)に引いた塩原恒子(1925生)の報告で、35頁上段10〜17行めにその全文を引用しているのですが、最後の回答者の行は引用していません*1
 そして、次のように展開させます。35頁下段1〜16行め、

 ゲーム屋が天井を仰いだ。年数を算した。*2
「しょ、昭和十二(一九三七)年の卒業でェ〜、五/年生って云ったらァ〜、ええェ〜、昭和十(一九三/五)年かァ〜、十一年の事じゃないですかァ〜? /か、紙芝居よりィ〜、四、五年も前になるじゃない/ですかァ〜?」
 白フリルは得意の絶頂だった。有頂天界に飛び上/がりそうだった。*3
「へへ〜! でしょ、でしょ! ふふ〜ん! でも/ね、そンだけじゃないよ! まだあンだから! /『魔女の伝言板 日本の現代伝説』って本にもさ、/『三原の小学生の頃の記憶では、一九三七年(昭和/十二年)頃、「赤マント」が出没して警察が出動し/たと聞いた』ってあるし! ああ〜、三原って云う/のは、大阪出身の大学教授で、この本の著者の一/人。三原幸久って人」


 そして前回引いた、下間化外先生の援護発言*4になるのです。
 塩原氏の報告については一応の検討を済ませましたので、ここでは三原氏の記述の方を見て置くこととしましょう。
・日本の現代伝説『魔女の伝言板1995年11月5日印刷・1995年11月20日発行・定価1650円・236頁
 日本の現代伝説(白水社)は1990年代に4冊刊行されたシリーズ(四六判上製本)で、それぞれ5名が「編著」者となっており、全部で8名が参加しています。うち4冊全てに参加しているのは高津美保子(1949生)常光徹(1948生)渡辺節子(1949生)の3人、本書に参加しているのは近藤雅樹(1951〜2013.8.3)と三原幸久(1932.9.10〜2013.1.18)の計5名で、近藤氏と三原氏は他の本には参加していません。ちなみに本書に参加していない3人は、大島広志(1948生)が本書を除く3冊、池田香代子(1948.12.21生)が2冊、岩倉千春(1959生)が1冊です。このシリーズについてはまた改めて詳しく触れる機会もありましょう。
 三原氏については奥付の前の「編・著者略歴」に、

三原幸久*5[みはら・ゆきひさ]
1932年大阪府
スペイン・ラテンアメリカ文化、比較民俗学
関西外国語大学教授
主要著訳書
『スペイン民話集』(岩波文庫)、『スペインの昔話』(三弥井書店)、『スペイン民族の/昔話』(岩崎美術社)、『ことば遊びの民族誌』(共著、大修館書店)、『ラテン世界の民/間説話』(共著、世界思想社)

とあります。訳書のうち『スペイン民話集』は第1刷を買って読みました。

スペイン民話集 (岩波文庫)

スペイン民話集 (岩波文庫)

 それはともかく、そうすると三原氏は1月7日付(77)で見た東京の中島公子(1932.11.24生)や種村季弘(1933.3.21〜2004.8.29)と同学年で昭和14年(1939)4月に小学校入学、昭和20年(1945)3月に国民学校卒業という計算になります。すなわち昭和12年(1937)頃の「赤マント」とは、入学前のことを入学後に聞いたことになるのですが、私はそうではないと思っています。全て入学後のことなのです。――その理由を、次回『魔女の伝言板』の原文を引きつつ、検討したいと思っています。

*1:他に異同は1つめの「豊科」にルビ「とよしな」を附していること。

*2:ルビ「さん」。

*3:ルビ「うちようてんかい」。

*4:1月30日付(100)で当初、発言者を間違えていたのを修正した。

*5:著者名は明朝体太字