瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(107)

・大阪附近の赤マント(3)
 2月4日付(104)の冒頭に書いたように、大阪の赤マントも新聞記事になっております。これまで出し惜しみをしたような感じになって来ましたが、別に見るのが難しいようなものではなく、既に何人か、この記事を見て使用している人もいるのです。その意味では特筆するまでもないような気もするのですが、周知されているとはとてもでないが言えないので、ここに上げて置く理由もあろうかと思うのです。
 何に載っているかというと、明治大正昭和新聞研究会 編集製作『〈新聞/集成〉昭和編年史』(新聞資料出版・B5判上製本)です。どうやって知ったのかというと「国立国会図書館サーチ」です。「国立国会図書館サーチ」はもちろんチェック済みですが、怪人でない赤マント・赤いマントなのかそうでないのか、「国立国会図書館デジタルコレクション」に入っていても新しいものは「館内限定閲覧」であることが多く、館に行かないといけません。それでも、出してもらう時間が掛かりませんので、とにかく一通り眺めて見て、さらに幾つか流言の体験者の回想などを拾っているのですけれども、落ち着いてノートを取るところまでは至っておりません。アンソロジー『わたしたちの赤マント』の編成の妄想だけは膨らんでいるのですけれども。
 さて、なかなか国会図書館に行く余裕がなかったのですけれども、赤マントを調べ始めた頃に買った回数券が余っていたのが、使用期限が迫って来て、貧乏性なので余りを使い切るために、本当は明日の午後にも仕事先から向かおうと思っていたのですけれども、自宅待機というか出掛けられなくなるかもしれないので、どうしようかと思っているところです。明日行けたら空いているだろうから、デジタル化していないものを出してもらって、等と考えてみるのですが、しかし国会図書館は底冷えがするので、明日はさぞかし寒かろうと思うのです。
 『〈新聞/集成〉昭和編年史』は、国会図書館でなくとも大きな図書館にはありますので、既に確かめました。記事の複写をそのまま掲載しています。ただやはり、マイクロフィルムもしくはデータベースで紙面にどのような形で掲載されていたのか、それからその前後にこれに触れた記事があるかどうか、東京の新聞記事と同じように確かめて見たくて、そのままにしていたのですが、漸く1紙だけですが2週間分ほどざっと眺めてみましたので、ここに報告して置くことにしました。東京の新聞記事だって、昭和14年(1939)2月のみ、それもまだ全ての新聞を調べ尽くした訳ではなく、3月以降については殆ど作業を進めておりません。まだまだやらないといけないことがあって、たぶんこの連載は1年以上続きそうです。少し別のことをして誤魔化そうと思っているのですが。
 ちなみに2013年11月3日付(13)に引いた「讀賣新聞」の記事ですが、『〈新聞/集成〉昭和編年史』の『昭和十四年度版Ⅰ*1』(平成四年一月十日印刷・平成四年一月二十二日刊行・定価二五、七五〇円(税込)・17+794+20頁)に掲出されています。524頁、この頁は5段組に配置されていますが、その右下の3〜5段めに組み替えて収めています。初めに明朝体で「2・26読売第一夕(一)」と示して、3段めは「社會不安を/」まで、4段めは「行ふことになり廿/」まで、残りは5段め。
 目次には「二月二六日」のところ、11頁4段めに「デマ取締り・通信社員留置さる……五二四」と出ています。すなわち「国立国会図書館サーチ」にはこの目次がそのまま入力されているのです。もちろんこの記事は「赤マント」で検索してもヒットしませんが。少なからず存在する東京の赤マントの記事は、『〈新聞/集成〉昭和編年史』には採られていません。
 大阪の記事に触れる余裕がなくなってしまいましたが、見出しはそのままにして置きます。(以下続稿)

*1:表紙に拠る。目次には「昭和十四年度版第Ⅰ巻」、奥付には「十四年度版Ⅰ」とある。