瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(111)

・大阪附近の赤マント(7)
 「大阪毎日新聞」の記事は、差当り『〈新聞/集成〉昭和編年史』に採られている記事の前後2週間、昭和14年(1939)6月末の1週間と7月初めの1週間をざっと眺めてみました。やはり6月30日夕刊(七月一日付)まで記事になっていなかったようです。
 「大阪毎日新聞昭和十四年七月二日(日曜日)付第二万百九十五号、7月2日の朝刊の(七)面*1、14段組のうち12段めまで記事で2段は広告、6〜7段めの右側、見出しは2段抜きですが、6〜7段めの境界線よりもやや下に二重線(=)で仕切って、上に大きく「また惡戯/『幸運の手紙』」、下に「赤まんととともに斷乎一掃」と行間を破線で仕切って入れています。その左に2段抜きで「乙女よ‥‥迷ふこと勿れ*2」とあります。「“ ”」は「〃」とその上下反転、1字下げのところは行間が詰まって振仮名なし。

“赤まんと”の流言が子供たちを/脅かしてゐる折も折、東區南農人/町一ノ一九、夕陽丘高女專門部生/松井はなさん(假名)宛卅日*3
 この手紙を寫し取つて廿四時間/
 以内に四人の方に送つて下さい/
 もしこの鎖りを中絶させると凶/
 事があります
と記した“幸運の手紙”が舞ひ込/んだので驚いたはなさんは一日附/近に住む府交通課勤務警部補小林/仙一氏に訴へ出たが、この“幸運/の手紙”は最近頻々と女學生間に/ばらまかれ感じ易い乙女心を蝕ん/でゐる模樣なので府特高、刑事兩/課では“赤まんと”とともに嚴重/*4【6段め】取締ることになつた*5【7段め】


 幸運の手紙については2013年11月7日付(17)に述べた以上の知識はないのですが、2月9日付(109)に引いた「週刊 昭和タイムズ」の記事を見て以来、また接する機会も増えて来たので、昭和14年夏のことだけでも、もう少し調べて見ようかと思っています。
 昨日引いた「大阪毎日新聞」昭和十四年七月一日付の朝刊の記事に「大人もかつて「幸運の手紙」に惑はされた例もあり」と過去の例として言及されていたのですが、実はその前日付の「幸運の手紙」が記事の出た日に届いていたというのです。赤マントについては東京の流行が大阪に波及するまで4ヶ月の時間差があったのですが、「幸運の手紙」の方は東西で殆ど時間差なく流行し始めたようです。(以下続稿)

*1:「C■」■には白抜きで「大」とある。

*2:「‥‥」は原文のママ。「乙」は右の「の」と同じ高さ、「‥迷」の間に右の二重線が位置する。

*3:ルビ「りう/おびや・をり・をり・のう/をか・せん・ぶ/か」。

*4:ルビ「しる・こううん・ま・こ/おどろ/す・こう・くわきんむけいぶほ/せん・うつた・こううん/さい・ひん/かん・やす・おと・むしば/も・とく・けい・れう/くわ・げん」。

*5:ルビ「しま」