瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(128)

 昨日の続きで昭和48年の年末に「毎日新聞」の「家庭」欄に連載されたコラム「視界ゼロ」について。
 「視界ゼロ」の3回めは「昭和48年(1973年)12月24日(月曜日)」の(9)面・12版、縮刷版697頁、右上1〜7段め。見出しは「ヘンな魚がふえてきた」。末尾に「=つづく」。
 4回めは「昭和48年(1973年)12月25日(火曜日)」の(4)面・12版、縮刷版716頁、右上1〜7段め。見出しは「小さくなったマイホーム」。末尾に「=つづく」。
 5回めは「昭和48年(1973年)12月27日(木曜日)」の(4)面・12版、縮刷版756頁、右上1〜6段め。見出しは「ミカンのひとりごと」。この回のみ末尾に「=つづく」がありません。
 6回めは「昭和48年(1973年)12月28日(金曜日)」の(4)面・12版、縮刷版776頁、右上1〜8段め。見出しは「ある"子供村"」。末尾に「=つづく」。
 7回めが最終回で「昭和48年(1973年)12月29日(土曜日)」の(4)面・6版、縮刷版788頁、右上1〜6段め。見出しは「受難つづきの老人福祉」。末尾に「=おわり」とあります。
 水曜日がありませんが「昭和48年(1973年)12月26日(水曜日)」の(4)面・12版、縮刷版736頁は「家庭/健康」と欄の名称が違っていて、左上1〜6段めに「年末年始の健康管理」となっています。なお毎週水曜日が「家庭/健康」欄になっていたようで「昭和48年(1973年)12月19日(水曜日)」の(11)面・12版、縮刷版716頁も「家庭/健康」で、その左上1〜8段めは「慢性関節リューマチ」です。
 なお、小説は9〜10段めに12月19日付が(709)回の「北京の日々(八)」で、29日付が(719)回の「北京の日々(一八)」まで毎日掲載されています。
 それでは2回めの1段めから見て行きましょう。小見出しは2行取りのゴシック体。

戦前の赤マント
 昭和十四、五年ごろ、こんな/話が、パッと広まった。赤マン/トを着た怪人が街を徘徊(はい/かい)し、主として少女をねら/い、その生き血を吸う、とい/う……。子供たちは半信半疑な/がら、一様に恐怖にとらわれ/た。ほとんど全国的な話題で、/しかも「夜、一人で便所へ行か/ない」など、多くの子供の行動/をある程度規制する力があった/ことなどから「赤マント騒ぎ」/は単なる“うわさ”の域を超/え、立派に“デマ”として成立/していたらしい。
 そのころ日中戦争は膠着(こ/【ここに「視界/ゼロ」のロゴ】/うちゃく)状態に入り、深刻化/する物資不足が続く太平洋戦争/を予告していた。石油不足によ/って木炭車が走り出し、舶来も/のを中心に生活物資が底をつい/て、統制経済の強化へ。
 いま歩いている「赤マント」/は、かつてのそれほど単純では/ない。経済を中心とする社会の/状態はよく似ているが、トイレ/ットペーパー騒ぎに見るよう/に、ある種の必然性に裏打ちさ/れている。
 昭和四十八年六月十一日午後/十一時三十八分、千葉県館山市/を中心とする房総半島一帯に、/【1段め】マグニチュード8という激しい/地震が発生する――。


 続く13行はこの地震の件について述べたところですので省略します。3段めも続きで7行略、次いで2行取り1字下げの小見出し「 頭かかえる測候所」、3段めの残り6行、4段め7行、5段め37行、そして6段めの19行めまで省略。
 この測候所というのは2〜4段めの右側に「▲地震騒ぎの“被害者”館山測候所の鈴木所長――今日も地震計を点検する」▲は左を指していて、やはり3段抜きの写真。その左に縦組み3段抜きで大きく明朝体で「"予告地震"におびえる」ゴシック体で小さく「自然破壊、環境汚染、物不足、インフレ……」そして明朝体でやや大きく「ある種の終末を予感させる不安感」。
 すなわち地震のデマがこのコラムの中心なのですが、最後の纏めにまた赤マントを持ち出します。6段目の続き、2行取り1字下げの小見出しから。

 非合理と知りつつ
 「デマ」を称して“根も葉も/ない”という。だが、館山市を/中心として流れたデマを根も葉/もない、と笑える人がどれくら/いいるか。自然破壊、環境汚/染、物不足、インフレ、経済成/長ゼロなど、人々は何ともいえ/ず暗い気持で、ある種の終末を/予感せざるを得ない。激烈で、/すべてを無にする大地震へのデ/マは、それらの不安感を大きく/つつんでしまう“赤マント”で/はなかったか。
 デマ、それは「そのテーマ/が、話し手にとっても聞き手に/とっても、なんらかの重要性を/【6段め】持っていなければならない」/(G・W・オルポートら『デマ/の心理学』南博訳・岩波書店)/であり「社会の成員全体に関係/のある危機的情況で起こる」/(南博『体系社会心理学』光文/社)。この“赤マント”に対す/る冷静な目を保ち続けることは/むずかしい。デマを“非合理”/と知りつつ人々は信じ込んでし/まう、そんな時代にだれがし/た――。      =つづく


 これで見ると、2月25日付(125)に引いた廣井氏による要約は、この記事では一過性のデマらしく書かれているのを「昭和一四年から一五年にかけて」と長期間であったかのように書くなど、これだけの短さでありながら細かいところにズレを生じています。(以下続稿)