瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鉄道人身事故の怪異(2)

 4月1日付(1)の続き。
 松山氏の『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』では、65〜85頁「第四章「四肢欠損の呪い」考」に、カシマさんの由来について、踏切事故で体がバラバラになったという原田宗典『いろはに困惑倶楽部』、両脚を切断されたという「▼90年 大阪府」及び「▼93年 岐阜県」の伝承*1に関連して、この手の話に言及しています。71頁12行め〜77頁2行め「「踏切事故伝説」の変遷」と題して、まず典型例を挙げています。北国、大抵は北海道の踏切で少女が轢断され、停車した列車の運転士が確認のために踏切に戻ると上半身だけになった少女が「助けて……」と追い縋って来るのに恐怖を覚えて逃げると、這って追って来る。それで運転士が電柱に攀じ登ると、……という筋で、轢断されても平気(?)だった理由は厳寒のため傷口が凍り付いて大量出血しなかったからだと説明されているようです。
 この話については単行本『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』よりも元になった松山氏のサイト「現代奇談」に詳しく、このサイトは現在閉鎖されていますが、インターネット・アーカイヴ「WayBack Machine」によって閲覧出来ます。「真・都市伝説101夜」の第70夜〜第79夜「事故にまつわる伝説」の「第79夜 助けて・・・」及び「奇談メモ」の「2004/08/03 都市伝説」、「カシマ包囲網」の「かしまさん関連年表」1975年条(*静岡県)、1980年条、1985年条*2(*福岡県、*奈良県)、1993年条(*岐阜県、*神奈川県)、1995年条(*島根県)、1999年「「さっちゃん」のチェーンメール」条にこの話についての記述があります。単行本『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』208〜223頁「カシマさん年表」は簡略で、カシマさんそのものでない「関連」事項たる「踏切事故伝説」関連の箇条は含まれていません。
 さて、単行本「第四章「四肢欠損の呪い」考」の「「踏切事故伝説」の変遷」に戻って、74頁4行め〜75頁1行めにこれも幻のサイト「Urban Legends」に投稿された事例「▼80年 北海道」が引用されますが、これは即死と見られていた少女が喋った、というまでで追い掛けて来たりはしません。
 その上で75頁2〜8行め、昭和10年(1935)5月31日付「東京朝日新聞」の記事「係官に明瞭な答 兩足切斷の女 鐵路自殺を圖つて*3を紹介、76頁には記事の複写も載せています。
 この記事をどこから得たか、単行本には書いてないのですが「奇談メモ」の「2004/08/03 都市伝説」に以下のような記述があります。

 先日、メールでたけさんという方からこの伝説とよく似ている、実際に起きた事故の話を教えていただいた。事故が起きたのは昭和10年5月30日のこと。翌5月31日付の東京朝日新聞に掲載された記事には、この日の昼ごろ、東北本線赤羽駅の付近の線路上で女が自殺を図り貨物列車に飛び込んだのだが、列車に轢かれ両足を切断されながらも死にきれず、病院に運び込まれたとある。女性の意識は非常にしっかりしており、係官の質問にも明瞭な答えを返していたという。女性は気丈に振舞い続けていたが、致命傷を負っていることには変わりはなく、事故から4時間余りが経過した後に息を引き取った。
 昭和10年に発行された『教育心理研究』10巻第6号によれば、彼女が即死しなかったのは、重い車輪によって血管を潰され、結果的に出血が抑えられたからだったようだ。この事故は現場に駆けつけた警官たちにも強い衝撃を与えたようで、ある警官は「殆んど下半身を断ち切られた上半身のみが、動きもすればしやべりもする有様は、普通の人々が見れば、怪け物のやうにも感じられた事であらう」とも証言している。
 「手首ラーメン」のように、実際に起きた事件が噂として一人歩きしていくうちに都市伝説化していくというのはままあることだ。この踏切事故伝説も、あるいはそういったケースの一つであったのだろうか……。

*たけさん、メールでの情報提供ありがとうございました。


 単行本には「教育心理研究」の誌名は挙がっていませんが、その内容は75頁9〜10行めに反映されています。
 どうも単行本には、こういう典拠の扱いに頓着しないところがあって、それがサイトで読んだときに比して何だか食い足りないような気にさせられてしまう一因ではなかろうか、と思われるのです。
 それはともかくとして、ここに示されている要約を76頁に載る記事の複写と比較してみるに、一致しない箇所があるのです。そこで次回は、松山氏が単行本に載せた要約を引用して、この記事との異同を指摘して見たいと思います。(以下続稿)

*1:尤も、後者は初め(71頁6行め)に「「カシマさん」という名前であったかどうか記憶は定かではありませんが」と断っている。

*2:「踏切事故伝説に「上半身が追いかけてくる」バージョン登場」とあるのだが、「カシマさん」と結合している単行本81頁4行め〜82頁5行め「▼75年 静岡県」の例が既に「上半身が追いかけ」ており、この年表の「1975」年条にも「2003年12月2日に、メールによって寄せられた事例。」として掲載されている。但し事故現場を「踏切」と断っていない。4月1日付(1)に記述した私のうろ覚えの例は、昭和54年(1979)頃なので、上半身が異常に動いた型の出現が昭和60年(1985)というのは遅いと思う。

*3:全て明朝体。松山氏は75頁2〜3行め「係官に明瞭な答 両足切断の/女 線路自殺を図つて」としているが、誤りがあるので76頁の複写に拠った。