瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鉄道人身事故の怪異(3)

 4月21日付(2)の続き。
 前回引用した「奇談メモ」は、単行本『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』に取り込まれた際には次のように書き改められています。75頁2〜10行め、

 また、昭和10年(1935)5月31日付けの東京朝日新聞には、「係官に明瞭な答 両足切断の/女 線路自殺を図つて」という記事が掲載されている。
 要約すると、5月30日の深夜、東北本線赤羽駅付近で、線路上に飛び込み自殺を図った女がい/た。貨物列車に轢かれ両足を切断されながらも死に切れず、病院に運び込まれたという。彼女の/意識は非常にしっかりとしていて、係官の問いかけにも「私は世の中がいやになったから勝手に/死ぬのですから遺書なんか書きません」とはっきり答えた。なお、彼女が息を引き取ったのは、/事故から四時間後のことである。
 彼女が即死しなかったのは、重い車輪によって傷口がつぶされ、出血がおさえられたためであ/る。


 「奇談メモ」を更に縮めたものとなっていて、情報提供者と一部出典も省略されています。それから事故が起きたのを「奇談メモ」では「昼ごろ」としていたのを「深夜」と改めています。
 それでは、76頁の記事の複写を読んでみましょう。1字下げのところはルビがありません。
 3段抜きで、右側に前回引いた見出しがあります。

三〇日午前零時十分頃本所區向島/請地一六〇先東武電車線路で貨物/列車に飛込み兩膝から切斷された/女があつたが、人だかりの中から/「私の 妹 です」とその姉が飛出/した、同區向島押上町二三三精工/舍職工■■■■■■の 妹 ■■■/(二〇)が自殺を計つた女*1
 五歳の時父に死別、八歳から十/
 六歳まで金澤市の旅館で女中を/
 してゐたが、兄宛に出した手紙/
 が戻つてきたのを一家離散と思/
 ひ、猫いらず自殺をはかつたこ/
 ともあつた
その後兄に引取られたが強情な性/質で家にゐつかず、喫茶店をわ/たり歩き、去る二十八日新宿の店/を解雇されたのを非常に苦にして/二十九日姉■■(二二)と活動見物の/歸り、一人別れて死を選んだもの*2
 淺草明治病院に收容されたてる/
 子は兩足を切斷されながら意識/
 は明瞭、司法主任への供述にも自/
 ら捺印してゐるほどだが、出血/
 のため生命はおぼつかない
しかし非常にしつかりしてゐて係/官に『私は世の中がいやになつた/から勝手に死ぬのですから遺書な/んか書きません』などといひ看護/する兄に『疲れるからお寝みなさ/い』とすゝめたりしてゐる*3


 氏名は、今更問題にならないとは思うのですが、紹介者の松山氏の判断に従って伏字にしました。これは松山氏がこの字数分塗り潰しているということで、実際にこの字数が塗り潰されているのではありません。兄は、縮刷版で確認したところ、実際には5字の名前で6字分使われていたのでした*4。年齢の括弧の漢数字の1つめは右寄せ、2つめは左寄せです。
 「東京朝日新聞昭和十年五月三十一日(金曜日)付、第一萬七千六百四十二號の「刊夕*5」、すなわち(一)面の題字の下に「日十三」とあって30日の午後の新聞、その(二)面*6、記事は11段、その下2段分に広告、その記事の5〜7段めです。
 さて、時系列から云っても29日に活動写真を見て翌日の「昼ごろ」では随分「帰り」に時間が掛かったことになってしまいますから、普通その直後の「深夜」だと見当を付ければ間違いようのないところです。しかしながら「30日の深夜」では、30日の夜ということになってしまいます*7。これは29日深夜の日付が替わった頃なのですから「30日未明」とするべきでしょう。
 それ以上に可笑しいのは事故現場で、「東北本線赤羽駅付近」はこの事件に何の関わりもないのです。関係者が赤羽附近に住んでいた訳でもありません。一体どうしてこんな錯誤が生じたのでしょうか。ちなみに76頁の記事の複写の下には、ゴシック体横組みで次のようなキャプションがあります。

……兄に引取られたが強情な性質で家にいつかず、喫茶店をわたり歩き、去る二十/八日新宿の店を解雇されたのを非常に苦にして、二十九日姉……(22歳)と活動見/物の帰り、一人別れて死を選んだもの……(東京朝日新聞 1935年5月31日付) /線路に身を投げた女性は二十歳だったが、自殺をするまでの経緯は、こう記されて/いる。


 ここで事故現場まで確認しておれば、訂正出来ていたのですけれども。
 偶然ですが昭和10年(1935)の東武鉄道伊勢崎線のこの辺りについては、2011年8月15日付「駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』(08)」及び2011年8月20日付「駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』(12)」で触れたことがあります。
 それはそうと、記事の複写を取ったのは松山氏でしょう。「たけさん」のメールに何処まで書いてあったか、が問題になりますが、内容が分かる程度には書いて報告するでしょう。松山氏は「奇談メモ」には確認せずに殆どそのまま上げてしまったので、一連の錯誤は情報提供者のメールに由来するもの、と一応は考えられそうです。それから「教育心理研究」にはどうやって辿り着いたのでしょうか。或いは「教育心理研究」を見ていて事故を知り、新聞に当たったという順序かも知れません。とにかくこの戦前の雑誌についても「たけさん」の報告のように思われるのです。
 そうすると、私には、或いは、と思われる人名が浮かんで来るのでした。(以下続稿)

*1:ルビ「れい・ごろ・しよ・むかふ/うけち・ぶでん・せんろ・か/れつ・とびこ・ひざ・せつだん//いもうと・あね・とび/むかふ・おし・せい/しやしよく・■■■■■■・いもうと/じさつ・はか」。

*2:ルビ「ごうぜう・せい/しつ・うち・きつ/ある・しゆく/かいこ・ひぜう・く/あね・かつ/かへ・わか・えら」。

*3:ルビ「ひぜう・かゝり//かつ・い/かんご/つか・やす」。

*4:そして実は、自殺者の名前は2箇所のうち1箇所消し忘れ。

*5:(一)面の題字の上に角書。

*6:「C」とあり。

*7:そして(ややこしいですが)「三十一日」付の夕刊発行よりも後のことになってしまいます。