瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

大野晋『日本語と私』(1)

 書影と発行日や定価等は、単行本は4月17日付「赤いマント(137)」に、文庫版は4月7日付「大野晋の新潮文庫(1)」に示しました。
 本書の執筆・刊行の事情は単行本282〜285頁・文庫版299〜303頁「あとがき」に述べてありますが、単行本の最後、285頁10行め〜12行めは次のようになっていました。

 また私が遙かに親近を感じていた安野光雅氏が装丁を引き受けてくださった。嬉しく/思っていますと申し上げたい。

 一九九九年十月十日                        大野 晋


 最後の行は名前が若干右に寄っています。
 文庫版では、単行本285頁10〜11行めの段落はなくなって、1行分空白になっています。そして302頁13行め〜303頁3行め、

 なお原著には国字問題の中の「日本人の読み書き能力」の調査について、引用の誤/りがあったのでその部分は訂正したことを書き添えたい。
 また、井上ひさし氏が『週刊朝日』に寄稿された書評を、解説として加えることに/【302頁】同意を与えて下さったことに対して篤*1く謝意を表する。

                                大野 晋
  一九九九年十月十日

とあります。単行本で頁付があるのは「あとはき」までですが、文庫版では続けて、304〜307頁に井上ひさし「解説」が載ります。その最後、307頁6行めに(平成十五年四月、作家)とあるのですが、この一文が書評として掲載された「週刊朝日」は確認していないのですけれども、平成11年(1999)12月の単行本刊行からそう遠くない時期のものでしょう。平成15年(2003)4月では、文庫版の編集時期になってしまいます。もちろん、文庫版に提供するに際して井上氏が大幅に手を入れた可能性もあるので、そこはやはり初出と比較しないといけないのですが、読んでの印象は書評をそのまま再録したもののようです。だとするとやはりここは、執筆もしくは初出の年月を入れるべきだと思うのです。
 それはともかくとして、文庫版は単行本の装幀を踏襲しなかったから、装幀に関する段落を削除したのは良いとして、訂正や文庫版「解説」についての記述を「一九九九年十月十日」の前に挿入したのは宜しくないのではないでしょうか。日付の前に入るのは「一九九九年十月十日」までの内容に限るべきで、加筆は「追記」などとして別に日付を示して付け加えるべきだと思うのです。
 それから、頁付のある最後の頁の裏に、中央下部に明朝体縦組み小さく、文庫版は

この作品は平成十一年十二月朝日新聞社より刊行された。

とあるのですが、ここはやはり何とかならないものでしょうか。単行本には、

*本書は「一冊の本」(朝日新聞社)一九九六年四月号〜一九九九年十月号/
 に連載された「両国橋から」を改題、加筆したものです。

とあります。朝日新聞社の書籍PR誌「一冊の本」の創刊号から連載したことは「あとがき」にも書いてありますが、連載時期は示されていません。書物の来歴を初出誌から示して置くのは、内容を吟味しようという読者にとって必要不可欠な情報だと私は思うのです。今はネットでかなり調べられるようにはなりましたが、発行者の側で何に拠ったのかを明示してもらえればそれに依拠することが出来ますから、手間の1つが省けます(もちろん、細かいことを云うのなら初出誌も見ないといけませんが)。底本とした単行本のみを示してそれ以前に触れないというのは、不親切だと思うのです。大した手間でもないのですから、示すべきだと思うのです。(以下続稿)

*1:ルビ「あつ」。