瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

柳田國男・尾佐竹猛「銷夏奇談」(3)

 一昨日からの続きで、筑摩叢書版と学研M文庫版の異同について。
・「本所の馬鹿囃子」筑摩叢書版253頁上段13行め〜255頁上段16行め→学研M文庫版758頁7行め〜760頁7行め
 この辺り、学研M文庫版758頁3〜11行めを抜いてみよう。

柳田 矢張り暗示でしょう。吾々は六十年というものが、一つの十干十二支の組合せが完/了すると思って居るでしょう。あれを人生の一語とする考えは、殆ど何千年間吾々の頭に/くっ附いて居るんです。ですからもうそろそろ来やしないかということになるのでしょう/ね。
柳田 私には理由は説明出来ませんが、通例不思議談が多い所は、型が決まって居るんで/すね。信州でも高遠という所は、信州中で一番そういう話の多い所なんですが、高遠へ行/って見ると、成程不思議話のありそうな処という感じがするんです。それからあの陸中の/遠野なども一つの例ですね。ところが本所に至っては、四面広漠で、おまけに近頃開いた/埋立新田で、どういう訳で本所だけにあるのかどうも不思議です。*1


 何故か柳田氏の発言が2つ続くという、座談会の記録として不体裁なことになっている。もちろんこの間にも発言があって、それが脱落しているとしか思えないので、何で脱落しているのか分からないのだけれども、筑摩叢書版を見るに、確かに若干のやりとり(253頁上段6〜18行め)が存する。「お札の降る話」の最後は菊池寛の「日本十字軍」について、そして「本所の馬鹿囃子」の冒頭は柳田氏の発言である。253頁上段14〜17行め、

 柳田 尾佐竹君は明治以後の研究に進んできておられる/けれども、僕は明治以前で止まっているから、最近そうい/う著述のあるということは知らなかった。(話題を換えて)/本所という所は、元来ああいう不思議が多いんでしょうね。


 「日本十字軍」を書いたのは菊池氏のはずなのだが、何故か尾佐竹氏がどうのと言っていて、何だか噛み合っていない。この辺りは「日本十字軍」を確認した上で改めて取り上げることにする。
 それはともかく、柳田氏が(話題を換えて)本所のことを持ち出して、253頁上段18行め、

 芥川 どういうわけでしょうね。

と受けたことで、253頁上段19行め、

 柳田 私には理由は説明できませんが、‥‥

という流れになるのである。学研M文庫版はこの直前の2行が存在しないから唐突に「理由」を答えることになってしまっている。
 そして、学研M文庫版758頁14〜17行め、

菊地 都会的に荒涼なんだ。都会でありながら荒涼なんだろう。
柳田 泉(鏡花)君が居ると、面白がってする話なんだが、あの真夜中の馬鹿囃子ぐらい/興味のあるものはないと思いますね。……本所の七不思議は、みんな特殊性を帯びて面白/いが、馬鹿囃子は殊に面白いと思う。


 この間にも筑摩叢書版では253頁下段12行め〜254頁上段1行めに山の手との比較が話されている。さらに省略はもう1箇所、759頁4〜8行め、

尾佐竹 馬鹿囃子を題材とした泉君の立派な小説がありますね。本所あたりを題材にした/……。
芥川 僕等にしても、子供の時に芝居から車に乗って帰って来ると、下座の囃子が何時ま/でも聞えて来るようで、耳について忘れられないんです。何時までも囃子をして居るよう/に聞えて来る。


 筑摩叢書版ではこの間に、254頁上段13行め〜下段9行め、類似の現象が「赤城あたり」や「金沢」にもあり、それから中里介山大菩薩峠」にも見えること、そして天狗囃子や天狗倒しも類似の現象であることが指摘され、話題が膨らんでいるのだが、何故か学研M文庫版では端折られている。(以下続稿)

*1:ルビ「たかとう・なるほど」。但し、高遠の読みは「たかとお」とするべき。