瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

柳田國男・尾佐竹猛「銷夏奇談」(5)

 一昨日からの続き。――昨日は日中に出掛けて、西日の中、西に向かって走る各駅停車の、普段は乗らない先頭に乗って、延々と続く光る2本の筋を見ていた。
・「天狗と神隠」筑摩叢書版258頁上段5行め〜261頁上段5行め→学研M文庫版761頁15行め〜763頁16行め
 最初の柳田氏の発言はそのままだが、例によって学研M文庫版は訳が分からなくなる。761頁15行め〜762頁2行め、

柳田 あれは稍こじつけた想像ですよ。しかし実際今考えて見ると、私があの時に居なく/なったらば、先ず神隠しに遭ったとでも言うのですね。*1
芥川 しかし妙な人もあるんですね。私の知ってる家に来た女中で、二人そういうのがあ/ったそうですけれども、それは鼠が手で自由に捉えられるのです。こう手をのばすと、鼠/が動かないのですね。


 柳田氏の発言は、5月31日付(4)の最後に引用した芥川氏の発言に続くものなのだが、ここに引いた芥川氏の発言はその答えになっていない。
 ここも、筑摩叢書版を見るに、柳田氏の発言(258頁上段6〜8行め)と芥川氏の発言(259頁上段13〜16行め)の間に尾佐竹氏の「書き留めてい」た「天狗に捕まって行ったという」話として「親父の弟が十ばかりの時に」天狗に「捕まって行って」2日程して戻って来たが、また2,3日経って「迎えにきたぞ」と言うので「数名の若侍が行って力いっぱい押さえた」が「その力の強いことといったらないという話」を「一例として」紹介する。その後、話題は「天狗騒動」などへと展開するのだが、それを芥川氏は再び、神隠しに遭って「妙な」按配になった「人」として「二人」の「そういうの」を持ち出して、話の筋を元に戻そうとしているのである。
 これについては柳田氏が受けて「何時頃のこと」かを芥川氏に問い、次のような会話になる。762頁4〜7行め、

芥川 現代です。
柳田 それ実験して見ると面白いですね。いや実験する必要がある。それで、それは鼠に/限るんですか。
芥川 鼠に限るんです。


 筑摩叢書版では柳田氏の発言(筑摩叢書版259頁上段19〜20行め)は「それは実験して‥‥」となっている。芥川氏の発言は筑摩叢書版では259頁上段18・21行めで、続いて259頁下段1〜2行め、

 柳田 まむしを捉えるというのもあるでしょう、毒蛇で/も平気で捉えられるそうですね。

となるのだが、ここが学研M文庫版では762頁8〜9行め、

芥川 しかし王朝時代の仏画なんぞでも、例えば赤不動なんぞは、どうも見ずに書いたと/いう気がしませんね。僕等が見て、あれを空想で描いたとは思いませんね。

とあって、話が飛んでいる。それから「芥川」発言が2つ並んでいるのだけれども、これについては5月30日付(3)や5月31日付(4)に類似の例を紹介して置いた。この芥川氏の発言は筑摩叢書版では260頁上段12〜14行めにあって、すなわち学研M文庫版では筑摩叢書版259頁下段1〜260頁上段11行めに当たる部分がなくなっているのである。ここに引用した芥川氏の発言以降は、そのまま章末まで一部表記の他、同じである。(以下続稿)

*1:ルビ「やや」。